2021年9月12日日曜日

祭りとラッパ

藤崎八幡宮例大祭
ラッパを吹きまくる祭りは、まず間違いなく”やばい”祭りです。浜松まつり、諏訪の御柱祭、熊本の藤崎八幡宮例大祭、花巻の蘇民祭、岸和田のだんじり祭等です。そもそもラッパ(喇叭)は、軍隊の信号用であり、ビューグルと呼ばれます。ビューグルの語源は、ラテン語の雄牛の指小形に由来し、牛の角で作った角笛がその起源と言われます。ただ、軍隊が使う金属製のビューグルの発祥は定かではなく、18世紀から多用されるようになったことだけは判明しています。会戦の規模が大きくなり、特に国民兵を前提にナポレオンが戦争のあり方を変えると、戦場には必要不可欠なものになっていったのだと思われます。

日本では、幕末にイギリス軍のビューグルが紹介され、明治政府が近代的軍隊を作る際、フランス軍によって持ち込まれました。なぜ、日本でビューグルがラッパと呼ばれるようになったのかは、はっきりしていません。その語源は、オランダ語、中国語、サンスクリット語等、諸説あるようです。除隊した兵たちが一般社会に持ち込み、軍国主義的な風潮のなか、特に日清・日露戦争の祝勝ムードが、ラッパを広めていったものと思われます。なかでも突撃ラッパが、勇壮さを誇る祭りで使われるようになっていったことは、ごく自然な流れだったのでしょう。

ラッパを吹く祭りのなかには、直接的に戦役と関係する祭りもあります。熊本市の藤崎八旛宮秋季例大祭です。神輿とともに、「随兵(ずいびょう)」と「飾り馬(かざりうま)」がパレードし、神宮に奉納されます。歴史の古い祭りですが、随兵と飾り馬は、文禄・慶長の役に出兵した加藤清正が、無事に朝鮮から帰国したことを祝って始められたと言われます。行列の掛け声が「ボシタ、ボシタ」だったことから、かつては”ボシタ祭り”と呼ばれていました。70~80年代、これが不適切との批判が起こり、掛け声は「ドーカイ、ドーカイ」に変わり、ボシタ祭りという名称も、公的に使われることはなくなりました。

不適切とは、ボシタの語源が「朝鮮滅ボシタ」であり、差別的だというわけです。しかし、清正が熊本に連れ帰った朝鮮人たちが、祭りを見て発した言葉が語源という説もあります。また、そもそも五穀豊穣を願う祭りであり、性的な意味合いを持つ言葉だという説もあるようです。いずれにしても語源ははっきりしないわけですが、恐らく、日清戦争以降、韓国併合もあり、国威発揚という観点から、「滅ボシタ」説が強調されるようになったのではないかと思います。戦後すぐ、GHQがボシタ禁止令を出しています。戦前・戦中は、GHQが禁止せざるを得ないほど、軍国主義的になっていたということなのでしょう。突撃ラッパは軍国主義的と批判されても、否定できない面があります。

軍国主義的色彩もあったでしょうし、韓国の人からすれば感じの悪い掛け声だったとは思います。ただ、民間の古い祭りであり、本意は清正の無事を祝っているわけですから、別な対応も考えられたようにも思います。やや気になるのは、戦後すぐではなく、なぜ70~80年代に至って、批判が起こったのか、ということです。漢江の奇跡と呼ばれた、韓国の経済成長とリンクしているのかも知れません。さらに、この祭りでは、飾り馬を長時間歩かせたり、鞭や棒を当てることが、動物虐待であると愛護団体から批判されています。一概に否定するわけにもいかないのかも知れませんが、古い祭りを現代的視点で見れば、突っ込みどころ満載というところなのでしょう。(写真出典:fujisakigu.or.jp)

マクア渓谷