2021年9月5日日曜日

蕎麦切り(1)

志な乃の合い盛り
蕎麦は、私の大好物ですが、名店の蕎麦だけでなく、立食そばも大好きです。かつては、駅そばを素通りできないほどでした。3分あれば、一杯食べられるというのも自慢でした。立食そばは、江戸期の屋台が発祥ですから、随分長いこと、しかも姿を変えることもなく、庶民に愛されてきたと言えます。もちろん、長続きの秘訣は「うまい、やすい、はやい」につきます。 日本に蕎麦が入ってきたのは、随分古かったようですが、広まることはなく、わずかに山岳部で栽培されるのみでした。当時の食べ方としては、蕎麦掻き、蕎麦餅くらいだったようですが、16世紀、細い麺にした蕎麦切りが信州で誕生します。

これが、日本の蕎麦文化の夜明けです。蕎麦は、単身赴任の侍、忙しい職人が多い街・江戸のニーズにマッチし、瞬く間に広がっていきます。江戸の蕎麦屋は三千軒を超え、寿司・蕎麦・天ぷらは江戸の三大名物とまで言われます。蕎麦屋の多くは、担い屋台で夜に営業する”夜鷹蕎麦”あるいは”夜泣き蕎麦”でした。実に合理的に設計された担い屋台の発明も、蕎麦の普及につながったと思います。一杯の値段は、落語の””時そば”で知られるとおり、16文。200~300円に相当します。今とあまり変わらなかったわけで、その点も実に優秀な食品だと言えます。

蕎麦は、実に良い楽しみです。食べて良し、打って良し、といったところです。病膏肓に入り、道具を揃えて、自ら蕎麦を打つ人も多くいます。実際に打ってみると、気温や水で変わる蕎麦の奥深さがよく分かると言われます。また、こね方でも味が変わり、つなぎなしの十割蕎麦等は、素人がこねるのは無理とも聞きます。蕎麦自体は、極めてシンプルな食品ですが、そば粉の挽き方、そば粉の割合、つなぎ、打ち方、切り方、つゆ、薬味、種(具材)、冷温等の違いに加え、腕の善し悪しでも味が変わるわけです。さらに、地方によって、それぞれ特色ある蕎麦文化も存在します。蕎麦は実に多様な食文化性を持っていると言えます。

蕎麦は、挽き方によって、三種類に分類されます。一番粉と言われる中心部の胚乳だけを使う更科そば、三番粉という緑色の薄皮まで挽いた薄緑の藪そば、殻まで挽いた黒い田舎そばです。それぞれの良さがあり、どれも美味しいのですが、私の好みは、香りの強い田舎そばです。それも十割がいいですね。かつて、札幌にあった「藤そば」は、大のお気に入りでした。太く短く不揃いで、まさに無骨な十割そばは、香りが良く、味わいが深く、傑作でした。ご亭主が亡くなり、その技を継ぐ人もなく、随分と前に閉店しました。藤そばに近いと思っているのが、赤羽橋の「志な乃」です。虎ノ門にあった頃から、定番は、けんちん合い盛りでした。けんちん汁と腰の強いうどんも名物です。

ズズッと”手繰る”江戸の蕎麦も大好きです。麻布十番の「更科堀井」や「かんだやぶそば」は、香りが鼻に抜けて、うまいですね。手繰るとは、江戸っ子が、粋を気取った言葉だと言われます。江戸時代の大工の符牒で、蕎麦を下縄と言ったことから出てきた言葉のようです。また、「うどん一尺そば八寸」という言葉もあります。八寸(24cm)は、蕎麦を切る際のたたみ方に由来する長さですが、勢いよく手繰るのにも、ちょうどいい長さだと思います。たまに、馬鹿に長い蕎麦がありますが、手繰り難くていけません。また、蕎麦をつゆにどっぷりつけて食べる人がいますが、気になります。そいう食べ方をしていたアメリカ人に、先の方をちょっとだけつけて手繰るんだ、と教えたら、数段美味しくなったと感動していました。(写真出典:tabelog.com)

マクア渓谷