2021年8月5日木曜日

渡良瀬橋

渡良瀬橋の夕日
新潟県三条市は、金属加工の街であり、世襲された中小企業の多い町です。三条のある経営者から、海外も含めて各地を転勤して歩く仕事がうらやましいと言われました。こっちから見れば、継ぐべき家業があって、地元で暮らせる人たちがうらやましい、と応えました。 社長は、みんな子供の頃からの知り合いで、昨夜、誰が、どこで、誰と飲んでいたかも、翌朝にはみんな知っているような町は、息が詰まると言っていました。それは理解できますが、それが地元の良さでもあるわけです。

1975年に発売された太田裕美の「木綿のハンカチーフ」は、昭和史に残る名曲であり、大ヒット曲です。松本隆作詞・筒美京平作曲というゴールデン・コンビによる初めての曲でもありました。松本隆の詞が、ボブ・デュランの「スぺイン革のブーツ」にインスパイアされていることは有名です。「スパイン革のブーツ」は、スペインに行った女性と捨てられた恋人の往復書簡という形式になっています。対して「木綿のハンカチーフ」は、地元に残った女性と都会へ出ていった男性の恋が、手紙のなかで終っていくストーリーになっています。斬新な構成の詞、ドラマ性、ノリのいい楽曲も見事でしたが、”ハンカチーフ”という昭和っぽい言葉の選択も含め、時代背景が歌い込まれていたことが最大のヒット要因だったのでしょう。

高度成長とともに、産業構造の転換が起こり、労働力は、一次産業から二次産業へ、農村から都会へと移ります。集団就職が分かりやすい例です。その後は、三次産業への展開も行われますが、地方から都会への流れは変わりません。集団就職から大学受験へと形が変わっただけです。「木綿のハンカチーフ」は、そういった時代背景をしっかり映し込んでおり、多くの若者が共感したのだと思います。それから約20年後、都会と地方の関係を織り込んだ、もう一つの名曲がヒットします。1993年、森高千里の「渡良瀬橋」です。甘く、切なく、自己憐憫のセンチメンタリズムが心に残る平成の名曲です。森高千里の素人っぽい、純朴な歌い方もマッチしていました。

「渡良瀬橋」は、地方に住む女性と都会の男性の実らなかった遠距離恋愛の物語ですが、女性が地元を離れられない理由は、明確に語られていません。地元愛が強かったのか、家業を継ぐ必要があったのか、あるいは親の介護があったのか。平成前後になると、寂れていく地方が問題になります。それは、誰が老いた親の面倒をみるのか、という問題でもありました。88~89年には、いわゆるふるさと創生一億円事業も行われています。「渡良瀬橋」は、失った恋を思う歌ですが、同時に、流出一方だった地方サイドから、地元愛という目線で自己主張がされた最初の楽曲なのではないかと思います。その視点が、都会に疲れた人々の共感を呼んだのではないかと思います。まさに、歌は世につれ、世は歌につれ、というわけです。

森高千里は、橋を歌おうと思い、地図から、美しい名前や語感の橋を探したと聞きます。熊本出身の森高千里は、足利市に縁もなく、渡良瀬橋に思い入れがあったわけでもないようですが、とても良い選択をしたものだと思います。一度、渡良瀬橋を車で通ったことがあります。何の特徴もない、どこにでもある、実用一点張りの鉄製の橋です。結果的に、その地味さが、この名曲の持つドラマを良く伝えていると思います。夕日の名勝とも言われる渡良瀬橋のたもとには、「渡良瀬橋」の歌碑も建っているようです。(写真出典:ja.wikipedia.org)

マクア渓谷