2021年8月4日水曜日

羊羹社会

藤原弘達
政治評論家の藤原弘達は、創価学会と公明党の関係にメスを入れたことでも有名ですが、30年続いたTBSの番組「時事放談」で、細川隆元とともに、歯に衣着せぬ発言を行うことで大人気でした。政治に不満を持つ国民は、大いに留飲を下げたものです。高校生の頃、たまたま藤原弘達の講演会を聞く機会がありました。今でも、印象に残っている話があります。日本は欧米に比べて階級のない国だ、上から下まで同質的で、例えて言えば羊羹みたいなものだ、表面に少しこびりついているのが砂糖だ。 当時は、 佐藤栄作首相の末期であり、場内は大爆笑となりました。 

日本社会は、格差が拡大、かつ固定化しつつあるという議論があります。どんな社会にも、格差は存在します。格差は、収入や資産といった物理的な差異であり、それが長期に固定化することでグループが形成され、かつそれが世代間で継承される等、流動性が失われると階級が生まれます。ですから、階級社会とは、格差の存在ではなく、流動性の欠如こそ、その本質だと言えます。 厳しい階級社会である英国では、下層階級出身のミック・ジャガーがどれほど成功したとしても、上流階級に迎えられることはあり得ません。 米国にも階級は存在しますが、欧州ほどではなく、アメリカン・ドリームに象徴される流動性もあります。

日本にも階級がないわけではありませんが、欧米に比べて薄いと言えます。歴史的には、幾度かの社会的シャッフルが起き、既存階級が崩されています。平安末期、公家社会が武家社会に替わり、応仁の乱以降は下克上の時代になります。これが第一のシャッフルです。江戸期は、武士を中心とした身分制度が、封建的な階級社会を形作ります、ただし、例えば、農民は農奴ではなく自作農であり、欧州の硬直的な階級制度とは異なります。明治維新による四民平等が、第二のシャッフルです。欧州では、市民革命によってブルジョワジーと労働者階級が形成されています。対して日本では、形式的な貴族階級が復権し、産業資本家も生まれますが、依然、実権は武家である薩長が握っていました。薩長政権は、富国強兵を急ぐ必要から、民間の力を活用するしかありませんでした。第三のシャッフルは、敗戦による民主主義化ということになります。

格差を固定化する要素は、教育だと言われます。日本の場合、江戸期の識字率は、世界一と推定されています。明治期になると、富国強兵政策のもと、教育が制度的に徹底されていきます。また、国粋主義的傾向が、思想教育を徹底させた面もあります。戦後に関しては、進学率の高まりを許容できた経済的背景に注目すべきだと思います。いずれにしても、日本の教育に、画一的との批判はあるにしても、社会の流動性を阻害するほどの障壁は存在してこなかったと思います。昨今、ネオ・リべラリズム以降の世界で、格差が固定化する傾向にあるのは事実なのでしょう。階級社会化が進むと、社会の活力が削がれ、階級間の争いが激化していきます。格差の完全固定化を避け、羊羹社会を維持するために、今、打つべき手は、やはり教育ということになるのでしょう。

日本が羊羹社会だとすれば、その形成には、社会的シャッフルや教育と同じく、天皇制による影響が大きかったのではないかと思います。器としての天皇制がなければ、羊羹も羊羹の体を成すことはなかったと思うわけです。天皇と一神教の神は類似する面もあるのでしょうが、武家社会以降、実権を持たない天皇に対して、一神教の神は絶対性を特徴とします。王権神授の世界では、王が定めた制度も絶対性を持ちます。社会は硬直化するわけです。敵対する勢力が実権を握るには、王と王が定めた社会を完全に破壊するしかありません。実権のない天皇のもとでは、相対的に、政治体制も社会体制も流動性が高くなります。日本社会の階級性が薄い理由の一つは、ここにあるのではないかと思います。(写真出典:jmca.jp)

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