2021年8月30日月曜日

グルカ兵

歴史的に、ほとんど全ての戦争は、プロの戦士たち、 つまり常備軍だけで戦われたわけではありません。兵の大層は、素人の一般人でした。古代において、常備軍は稀な存在でした。兵士が必要とされるのは、戦時だけだからです。中世になると、常備軍と言えるオスマン・トルコのイェニチェリ、西欧の騎士、日本のサムライ等が現れますが、その数は、決して多くはありませんでした。近世に至ると、特に市民革命以降は、国民兵の存在を背景に、その訓練、統率を担い、高度化した武器の専門家としても、各国は常備軍を設置していきます。それでも戦場に投入される兵士の圧倒的多数は一般市民でした。

戦場におけるプロの兵士は、常備軍だけはありません。傭兵たちです。傭兵は、古代から存在し、常備軍の代わりに、あるいは常備軍の不足を補うために活用されてきました。国民兵の時代になると、植民地の支配や防衛を担います。二度の世界大戦でも、主に植民地で活用されています。戦後は、アフリカでの紛争等において暗躍します。現在、国連では、傭兵の使用は禁じられていますが、批准国は少数です。また、ヴェトナム戦争以降、政治によって兵力を制限された軍は、警備会社という名目で、傭兵を多用しています。湾岸戦争以降は、主に特殊任務や技術者として、兵士よりも多数が雇われているとも聞きます。過去から勇名をはせた傭兵は、数多く存在しますが、現在でも、複数の国で活用されているのが、ネパールのグルカ兵です。

ネパールの歴史は古く、かつ独立を守ってきた国です。18世紀、国が統一された直後、清朝との戦いで劣勢となったネパールは、事実上、清の朝貢国となりますが、独立は維持されます。19世紀には、イギリスとの戦いに破れます。ただ、国土の一部は割譲したものの、独立は守りました。イギリスと講和した際の条件の一つが、グルカ兵の傭兵化でした。グルカとは、ネパールのゴルカ朝の英語読みです。小柄ながら勇猛果敢にして敏捷なグルカ兵は、白兵戦に優れ、英国軍で活躍します。第二次大戦中、日本軍もグルカ兵を避けて進軍しました。また、1982年、英国とアルゼンチンが戦ったフォークランド紛争では、グルカ兵の到着を知ったアルゼンチン兵が、恐れをなして潰走したといいます。

現在も、英国軍、インド軍、シンガポール軍にはグルカ兵部隊が存在し、米軍にも一部雇用されているようです。最盛期、英国軍には、11万人を超すグルカ兵が在籍していたようです。傭兵としてのグルカ兵の報酬は、決して高くないものの、ネパールの平均年収の10倍以上と聞きます。エリート国民というわけです。ネパールにとって、グルカ兵は、貴重な外貨獲得手段でもあります。同時に、グルカ兵の存在が、ネパールの独立維持を支えてきた面もあるのではないかと思います。ネパールと英国連邦各国との親密な関係の根底には、多くの戦争をともに戦ってきたグルカ兵、そして女王陛下をガードするグルカ兵があるのだと思います。

グルカ・ナイフ、あるいはククリ・ナイフと呼ばれるナイフは、グルカ兵の象徴であり、恐怖の的でもあります。10年ほど前、衝撃的なニュースが入ってきました。インドの長距離列車が、40人ばかりの強盗に襲われます。すると一人の乗客が、ナイフ一本で強盗たちに立ち向かい、3人を殺し、8人を負傷させ、撃退したというのです。その乗客は、元グルカ兵でした。もちろん、手にしていたナイフは、ククリでした。(写真出典:ja.wikipedia.org)

マクア渓谷