2021年8月12日木曜日

ドキュメント72時間

NHKのドキュメンタリー番組「ドキュメント72時間」は、2006年の放送開始以来、コアなファンに支えられる人気番組です。一定の地点を72時間ドキュメントし、そこに交差する様々な人生を映し出します。正直言って、当たりはずれもあります。実に様々な場所で撮ってきました。海外ロケもあれば、韓国KBSとのコラボや、中国で中国スタッフが制作したものもありました。また、松崎ナオのテーマソング「川べりの家」が、効果的に使われ、番組の重要な顔ともなっています。年末には、1年間の放送のなかで、もういちど見たいと思う作品を視聴者が投票し、ベスト10を一気に見せてくれます。私も、すべての作品を見ているわけではありませんが、投票には参加しています。

「ドキュメント72時間」最大の魅力は、普段、知り得ないような人生が、ごく短いコメントと映像で語られることです。いわば通りすがりの撮影なので、登場する人たちも、客観的に、明るく、なかば肯定的に、あるいは悟ったように自分の人生をコメントします。その一つひとつの生き様を深堀りしたら、とてつもなく重たいドキュメンタリーになっていると思います。別な言い方をすれば、視聴者側が、映像と短いコメントから、想像力を働かせて、勝手に様々な人生を思い浮かべる番組だとも言えます。この押しつけがましさのない距離感が、とても心地良いのだと思います。

「男も女も寂しいのよ。ここは寂しい人たちが集まる街なのよ」。2014年、鶯谷の24時間営業の食堂を撮影した「大都会・真夜中の大衆食堂」のなかで、投資詐欺にあい、銀行員から風俗に没落し、今はデリヘルを経営するという老女の言葉です。番組を象徴するようなコメントだと思います。特徴ある場所で撮影するので、日ごろは何の接触もないものの、何かしらの共通点を持った人たちが交錯します。そこには、ささやかな共感、あるいは連帯感が漂います。それは、厳しい人生を生きていそうな人々が、その場所に集まる理由でもあります。「ドキュメント72時間」は、かすかな連帯という救いを見せてくれる番組でもあります。

私が最も好きな作品は、2015年のランキング1位にもなった「秋田・真冬の自販機の前で」です。吹雪が吹き付ける真冬の秋田港で、雑貨屋の前に置かれたうどんの自販機に、24時間、ポツリポツリと人々がやってきます。くたびれた自販機が提供するのは、それぞれの人生のどこかの時点で、何らかの意味を与えてきたうどんでした。放送は大反響を呼び、わざわざ全国から200円のうどんを食べに人が集まったといいます。しかし、外国船への食品納入を仕事にしてきた雑貨店は、店主が年老いて、外国船の入港が激減したことで、店を閉じることになります。自販機も撤去されます。自販機最終の日のドキュメントを新たに加えた「秋田・真冬の自販機の前で 惜別編」が放送されたのは、2016年春のことでした。心に残る作品です。

基本的には、一つの場所を72時間に渡り定点観測する番組ですが、毛色の変わった企画を行うこともあります。印象的だったのは、2019年放送、ランキング2位になった「密着“レンタルなんもしない人”」です。「なんもしない」というサービスを提供するという青年への密着取材でした。場所ではないものの、依頼者たちの多様な人生が映し出されるという点では、まさに「ドキュメント72時間」そのものでした。この放送も大きな反響を呼び、書籍、マンガ、TVドラマ化までされています。様々な名作を生み出してきた「ドキュメント72時間」は、SNSサイズ化された今時のドキュメンタリーなのかも知れません。(写真出典:amazon.co.jp)

マクア渓谷