2021年6月28日月曜日

カラオケ

8トラックカラオケ
私が、いつ頃、カラオケを知ったのか覚えていません。ただ、1985~86年、札幌でセールス・マネージャーをしている時、重要なお客さまだった中小企業の社長がカラオケ好きで閉口しました。その社長と食事すると、必ず馴染みのスナックへ連れていかれ、カラオケで歌っていました。私は歌うことが苦手です。歌好きな人が歌うのはいいとしても、必ず「お前も歌え」とくるわけです。当時は、まだエイト・トラックの時代で、収録曲は演歌ばかりでした。演歌が苦手な私にとっては地獄でした。早くこんなブームは去ってほしいと、ずっと思っていました。ところが、ブームが終わるどころか、どんどん広がり、機器も進化を繰り返し、文化として定着し、ついには海外でも定番化していったわけです。

歌とダンスは、人間にとって感情表出の手段であり、精神的な安定や高揚を得るためには、極めて重要なものだと思います。その歴史は、おそらく人類の歴史と同じくらい古いのでしょう。人間の組織化が進むと、祭りも含めて宗教的な儀式で重要な役割を担い、その後、緊張を解く、連帯感を高めるといった効果をもつ娯楽となり、その中から人を楽しませるという芸能が生まれることになります。歌とダンスが、人間の本質に関わるものである以上、カラオケの世界的普及は、ある意味、当然だったのでしょう。また、かつて、余興等、人前で歌うのは、歌の上手い人と相場が決まっていました。カラオケは、誰もが、一人で、人前で歌います。つまり、カラオケは、人間の表現欲求を満たすものとしての歌を、万民に開放したとも言えますし、もっと言えば、承認欲求を満たす手段としても機能しています。

一方で、カラオケは、素人の歌を聴かなければならないという状況も作ります。カラオケは、自分が歌うことが本質なので、人の歌を聞いたり、拍手するのは、自分が歌う時に聞いて拍手してほしいから、止む無く行っていることのようにも思えます。人の歌を聞きたいと思わない人にとって、カラオケは騒音でしかありません。それを我慢できるのは、自分も騒音を出すという相互性なのでしょう。ただし、それは、店の中でのことです。店の外では、完全に騒音です。何故か、外には、演奏が聞こえず、歌う声だけが響き、実に間の抜けたものに聞こえることが多いように思います。もっとも最近は防音設備が普及し、音漏れは減っているようです。

さて、そのカラオケは、誰が発明したのか、という話があります。従前は、1971年に、井上大祐が発明したということになっていました。翌年から、井上は、カラオケのレンタルを開始、大ヒットさせました。99年には、タイム誌で「今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人」にも選出され、2004年には、イグ・ノーベル賞も受賞しています。ただ、実は、60年代から、複数の人によって、ジューク・ボックスを活用したエイトトラックのカラオケ機が商業化されていたことが判明しています。最近、井上は、カラオケを商業化した最初の人とされているようです。カラオケが特許を取得していないことは、よく知られています。井上は、既存の製品を組み合わせてカラオケを作ったので、特許申請など思いもつかなかったと語っています。カラオケは、特許を取っていなかったから、ここまで広がったとも言えます。

カラオケは、酒の場からコミュニケーションを奪ったとも言えます。私にとって、酒を飲む目的は、人と話すことでした。カラオケは、あまり話したくない人が増えたから、流行ったのかも知れません。また、スナック等の経営サイドからすれば、カラオケは、拍手だけしていれば良く、さしたる接客の努力を要しないというメリットもあるのでしょう。(写真出典:aucfree.com)

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