また、この間、犯人と名乗る人物からの手紙が多数、警察やマスコミに送られています。多くは信憑性に欠けるものでしたが、3通に関しては警察も注目します。ただ、どれも犯人からのものという決め手に欠けました。うち1通には、エタノール漬の人間の腎臓が同封されていましたが、これも犠牲者の腎臓と特定するには至っていません。なお、ジャック・ザ・リッパ―という名前も、手紙の中で犯人が自称していたものです。当然、手紙はマスコミの注目するところとなります。それどころか、手紙の中には、新聞の売上を伸ばすために、記者が捏造したと思われるものも含まれていたようです。まさに劇場型と言える社会の熱狂がうかがえます。
当時、英国はヴィクトリア朝末期にあたり、帝国の最盛期にありました。何に依らずピークは、凋落のスタートでもあります。世界に先んじた英国の産業革命は、経済的隆盛の影で、設備の老朽化、産業資本集約の遅れ、重工業への転換の遅れ、そして深刻な労働問題を生じていました。都市は、産業構造の転換に伴い流入する労働者で溢れ、その受け入れの限界を超えていました。スラム化したイーストエンドは、 その象徴でもありました。マスコミは、ジャック・ザ・リッパ―事件を契機に、驚異的に売り上げを伸ばすとともに、折から盛り上がりをみせていた社会主義運動も背景に、失業とスラムの問題に切り込んでいきます。ジャック・ザ・リッパ―は、資本主義の喉元をも切り裂いたのかも知れません。
ジャック・ザ・リッパ―事件が、世界初の劇場型犯罪になった背景には、印刷技術とパルプ生産の向上による新聞の隆盛、そして義務教育による識字率の改善がありました。シリアル・キラーの動機は、個人的怨恨でも強盗でもありません。様々なパターンはあるものの、多くの場合、異常な心理による自尊欲求の充足が動機だと言われます。命を奪うだけでなく、レイプする、死体を損壊する、戦利品を持ち帰る、マークを残すといった行動に加え、犯行声明を警察やマスコミに送ることまでが、ある意味、一貫した自尊欲求を満たす行動と言えます。その意味において、マスコミの熱狂は、シリアル・キラーや劇場型犯罪の大前提でもあります。
2019年、ジャック・ザ・リッパ―がポーランド人理髪師であったことが、民間のDNA鑑定で明らかになったという報道がありました。ついにその日が来たかと思いきや、そのDNA鑑定には技術的問題があったという報道が後を追って流れました。130年経っても、同じことが繰り返されているわけです。ジャック・ザ・リッパ―は、今も劇場に立ち続けているとも言えそうです。ちなみに、ジェイムス・エルロイの「キラー・オン・ザ・ロード」(1986)は、シリアル・キラーが一人称で語るという極めて稀な小説でした。異能の作家エルロイの筆の力もあって、シリアル・キラーの心の闇が強烈に伝わります。読んでいて、これほど気持ちの悪い本もない、と思いました。ある意味、発売禁止にすべき本だとも思いました。(写真出典:medium.com)