2021年6月19日土曜日

蘭奢待

蘭奢待
毎年秋に、奈良国立博物館で開催される正倉院展は、最も価値ある展覧会の一つだと思います。十年ほど前の正倉院展で、日本一の香木とされる「蘭奢待」を見る機会がありました。蘭奢待というのは東大寺という字を込めた雅称であり、宝物名は黄熟香、東南アジアで採取された沈香と言われます。重さは、11.6kg、これほど大きな香木を見たことがありません。蘭奢待には、38ヵ所、削った痕跡が認められるそうです。うち3カ所については、付箋が付けられ、「足利義政拝賜之處」「織田信長拝賜之處」「明治十年依勅切之」と記載されます。”明治十年依勅”とは明治天皇の指示で削ったということです。千年を経て、なお芳香を放っているそうです。

香の歴史は古く、古代オリエントでは、宗教儀式用や薬用として使われていたようです。6千年前の誇大エジプトの墳墓から乳香が出土しています。当時は、この乳香、没薬が重宝され、それを獲得するための戦いまで起きているようです。また、キリスト誕生に際し、東方の三博士が持参した贈り物は、乳香、没薬、黄金でした。また、インダス文明では、5千年前に、沈香や白檀の香りを蒸留抽出する技術が存在したようです。アジア各地での香の文化は、インドから仏教とともに広がったと言われます。沈香、その最高級である伽羅、あるいは白檀などが代表とされます。日本も同様、仏教の伝来とともに香木も渡来します。

香りは粒子であり、香の成分となる物質は判明しています。例えば、白檀、サンダルウッドは、サンダロールという成分が、あの上品な香りの元です。ただ、サンダロールは、科学的に合成できないとも聞きます。しかも、同じサンダルウッドの木でも、原産地であるインド以外で生育したものは、あの独特の香がないようです。不思議だと思うのは、なぜ、人間は白檀をいい香りだと感じるのか、ということです。これは、人間の五感すべてについても言える疑問ですが、他の感覚に関しては、ある程度解明されるか、あるいは科学的な仮説があります。ところが香りに関しては、一部を除き、よく分かっていないようです。

ヴァニラも人気の香料ですが、香水よりも食品の香り付けによく使われます。ヴァニラの甘い香りの元はヴァニリンという物質であり、これは化学的に合成されてもいます。人間がヴァニリンを好む理由は、人間の母乳にも、若干ながらヴァニリンが存在するからだとされています。ヴァニラ・フレイバーは、”ママの味”というわけです。余談になりますが、ヴァニラ・フレイバーをまき散らすヴァニラ爆弾は有効な武器なのではないか、と思っています。戦場にヴァニラの甘い匂いが充満すると、兵士たちは、里心がつき、戦意を失うのではないか、と思います。

ヴァニラが母乳を思い出させるように、香りは、人間が持つ特定の記憶と結びついているという説があります。理解できる話です。しかし、白檀に関して言えば、多くの人間に共通し、かつあの独特な香りと結びつく記憶など、まったく想像できません。少なくとも経験というレベルではあり得ません。もしあるとすれば、人間の意識下の話であり、DNAレベルの話ということになりそうです。だとしても、人間の原産地が、インドの白檀の木の下ではないことは明らかですから、なぜ人間が白檀をいい香りだと思うのかという謎は残ります。(写真出典:wedge.ismedia.jp)

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