学生時代、サッポロビール園でアルバイトをしていたことがあります。夏の最盛期には、様々な大学から集まったアルバイトが250人くらいまで膨れ上がります。仲間が多いのと、有名人が来店するので、結構、楽しいバイトでした。ビール園の売りは、ジンギスカン食べ放題と生ビール飲み放題でした。使う肉は、輸入された冷凍マトンの薄切りです。真ん中が盛り上がったジンギスカン鍋で焼き、特製のタレで食べます。数時間働くと、羊肉の脂で、眼鏡は曇り、髪も脂でベトついてきます。仕事あがりには、従業員用の浴場でしっかり洗うのですが、なかなか脂は落ちませんでした。鍋を洗うのもバイトの仕事でしたが、厚いゴム手袋をして、熱湯のなかで洗わないと脂はとれませんでした。私は、羊肉が好きなので問題ありませんが、あの脂と独特の匂いが苦手な人には務まらないバイトでした。
日本の緬羊飼育は、明治に入り、軍服の生地を増産するために始まります。1875年、明治政府が千葉県の冨里に開設した下総牧羊場が始まりとされます。ただ、その数年前、北海道開拓使が、牧羊を試験的に行っています。いずれにしても、羊毛が目的とは言え、同時に食用の試みも始まったようです。羊肉は、時間とともに臭みが増します。食用の取組は、この臭みとの戦いでもあります。焼方とタレがポイントになります。焼方は、日本の大陸進出に伴い、中国で烤羊肉(カオヤンロウ)を食べた人たちが、余分な脂を落としながら焼くスタイルを国内に持ち帰りました。中央が盛り上がったジンギスカン鍋は、1935年、東京の「成吉思荘」発祥とされます。一方のタレは、漬け込んでから焼く、焼いてから付ける、味噌ベースか醤油ベースか等様々あります。付けダレは、長野で開発されたというたっぷりの林檎を加えるスタイルが主流です。ちなみに、私は、昔から、札幌のベル食品の「成吉思汗のたれ」一筋です。
かつて東京では、羊肉を食べたことがない、あるいは苦手という人がほとんどでした。2006年頃、BSE問題に起因する牛肉離れという現象が起こりました。替わって、健康にも良いラム肉のブームが到来しました。ブームは、数年で終わりましたが、多くの根強いファンも獲得し、ジンギスカンの店もある程度残り、スーパーでも良いラム肉が買えるようになりました。むしろ、昔ながらの臭みの強い冷凍マトンの薄切りの方が手に入りにくいほどです。また、高級ラム肉も食べることができるようになりました。最高級は、希少なサフォーク種の生肉でしょうか。札幌の超人気店「いただきます。」で、サフォーク肉を食べた時には感動しました。北海道の直営農場で飼育された食用専用のサフォーク肉は、クセがなく、柔らかく、うま味が強いという特徴を持ちます。一方、行列の絶えないススキノの老舗「だるま」は、マトン一本鎗です。羊肉のうま味は、マトンの方が濃いと言われますが、確かにヤミツキになります。
さて、問題は、なぜ羊の焼肉をジンギスカンと呼ぶのか、ということですが、その起源も諸説あります。よく知られているのは、札幌農学校出身で、満州国の総務庁長官を務めた駒井徳三が命名したという説です。満州の烤羊肉と日本で人気の義経=ジンギスカン説から発想したと言われます。ちなみに、青森県南部地方には「義経鍋」なるものがあります。料理ではなく、焼肉としゃぶしゃぶが同時に楽しめるように設計された鍋です。義経都落ちの際、兜を使って鴨を食したことが始まりとされますが、胡散臭さ満載の起源です。(写真出典:ja.wikipedia.org)