2021年5月27日木曜日

かぎやで風

沖縄の古典音楽「かぎやで風」は、琉球音曲の特徴を余すことなく伝える名曲だと思います。また、唯一の翁踊りともいわれますが、これまた琉球舞踊のエッセンスが詰まっています。沖縄の祝いの席の座開きとして、あるいは新年を寿ぐ曲として演奏されます。もともとは、尚王朝時代の宮廷音楽です。王の御前で演奏される御前風五節の一つとして、300年前に成立しました。”かぎやで風”は書き言葉であり、発音は”かじゃでぃふう”となります。”かぎやで”とは何を指すのか、あるはその起源については、諸説あるようです。

第二尚王朝の開祖である尚円王は、故郷である伊是名島を追われ、国頭村にたどり着き、土地の若い鍛冶屋に助けられます。王の座についた尚円王は、鍛冶屋を出世させます。それを感謝した鍛冶屋が詠んだ琉歌が「鍛冶屋手風」になったという説があります。尚円王は、第一尚王朝の尚泰久王に見いだされ、最高位まで出世します。しかし、尚泰久王の没後、尚徳王が即位すると、血気盛んな若い王と合わず、隠居します。尚徳王は、家臣団の信頼を失いクーデターが起こります。そこで王に担ぎ出されたのが尚円王でした。この間の経緯についても諸説あるようですが、いずれにしても15世紀中期のことです。「かぎやぎ風」は、それから2百年以上たってからの成立です。恐らく、尚王家におもねって、尚円王のエピソードをこじつけたのでしょう。

興味深い説があります。かぎやで風は、能楽・狂言の式三番の影響を受けて始まり、その古い演出に登場する延命冠者から、”冠者手風”と命名されたいうものです。式三番は、古くからあった老体の神が祝言を行うという民間芸能が猿楽へと継承されたもので、父尉・翁・三番叟で構成される儀式的な芸能です。現在、能楽では翁、狂言で三番叟が舞われます。また歌舞伎等でも、やはり祝言として演じられます。かつて、父尉は、老人と延命冠者によって舞われたようですが、現在では、能楽の翁の特殊演出に姿を留めるだけのようです。老人、祝言といったあたりは、まさにつながるものがあります。薩摩藩による琉球侵攻は、1609年に始まります。能楽は武家に愛好されたわけですが、ことに薩摩藩は能楽が盛んだったことが知られています。かぎやで風のルーツとしては理解しやすい話です。

琉球古典芸能の粋と言えば組踊ですが、18世紀初頭、尚王朝の重臣であった玉城朝薫が創作したと言われます。朝薫は、日本の芸能に造詣が深く、琉球の古典芸能に、能・歌舞伎、そして中国の京劇・崑劇の要素も取り入れ、組踊を作ったとされます。琉球王朝にとって、清の冊封使の接待は、極めて重要な政治的行事であり、そのメインとして演じられました。今も演じられる「二童敵討」や「女物狂い」といった組踊の代表的演目は、朝薫の作です。東京での組踊公演は、年に1回程度です。2005年に開場した国立劇場おきなわでは、月に1~2回の公演があります。沖縄に遊びに行くときは、公演スケジュールを確認し、可能な限り、日程を合わせるようにしています。

いずれにしても、琉球古典芸能のいくつかは、琉球の伝統と日本の古典芸能が出会い、生まれたと言えます。ただ、日本の影響は、様式的な部分に限られ、根本を成す、琉球音階による音曲、そして宮廷で育まれた舞踊は、琉球の伝統そのものだと思います。沖縄は、芸能の島、とも言われます。芸能を職業とする人は、500~600人いると言います。その多くは、観光客相手の島唄バーで歌う人たちなのでしょう。魅力あふれる琉球古典芸能を継承する観点からも、国立劇場だけでなく、もっと気軽に公演を楽しめる場もあってもいいように思います。(写真出典:ryukyushimpo.jp)

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