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同発の焼売 |
実は、私も「シウマイ弁当」好きです。若いころ、休日出勤した際には、必ず東京駅で「シウマイ弁当」を買ってから出勤していました。当時の丸の内には、休日に開いている店はなく、弁当を持参する必要があったのです。休日出勤など、モチベーションが上がるわけもなく、唯一の楽しみが弁当でした。もともと弁当を好まない私にとって、食欲をそそられるのは「シウマイ弁当」くらいでした。「シウマイ弁当」は、思い出の味といったところです。そもそも焼売は、私の大好物の一つです。私が好んで食べる焼売は、横浜中華街の「同発」、日本橋の「小洞天」のものです。ふんわりとしたタイプより、肉をギュッと詰め、豚肉の甘味を楽しめるタイプが好みです。
焼売は、モンゴル自治区の発祥といわれます。また、料理店で残った食材を混ぜて餃子の皮に包んで売り始めたものが起源という説もあります。ただ、この説に関しては、どこで、という話が一切出てこないという胡散臭さがあります。文献上、モンゴルが築いた元朝の大都(北京)には既に存在していたようです。北京では、焼売を「焼麦」と表記する場合があるようです。病気になった麦を、蔓延防止のために焼いた姿に似ていたことから焼麦と称され、同じ発音の焼売に変じたという説もあるようです。ちなみに、佐賀県鳥栖の中央軒は、1956年から「焼麦」を発売しています。1892年創業、九州を代表する駅弁の中央軒は、長崎の中国人の指導のもと焼麦を開発したといいます。
日本の焼売の歴史は、1899年、伊勢佐木町にあった「博雅亭」から始まっているようです。博雅亭は、1881年に開店していますが、その後、紆余曲折を経て、現在は、片倉町で「シウマイの博雅」として販売されているようです。国産材料、無添加、手包みにこだわり、創業時の味を再現してるようです。明治時代の発売となると、崎陽軒同様「シウマイ」という表記になるわけです。焼かないのに焼売というのは何故か、という疑問をよく聞きます。中国語の「焼(シャオ)」は、高熱で調理するといった意味だそうです。叉焼は炙り焼き、上海料理の紅焼(ホンシャオ)は醤油煮込みですから理解できます。一方、「蒸(ジョン)」という言葉もあるのに、なぜ焼売なのか、また、なぜ”売”なのか、という疑問も残ります。焼売の起源に関わる疑問かも知れません。
昨今の焼売は、ヴァリエーションも実に豊富です。飲茶の焼売メニューは、オリジナルに加え、海老焼売、海鮮焼売、揚げ焼売等とにぎやかです。中華料理の焼売とは、まったく異なりますが、佐賀県呼子の萬坊が開発した「いかしゅうまい」も絶品です。あの甘味とふわふわ感は、ちょっとクセになります。イカで有名な呼子にあって、海中レストランの萬坊は、人気ナンバーワンの店です。呼子名物は、何といっても新鮮なイカの刺身です。いかしゅうまいは、恐らく売れ残ったイカの活用法として開発されたのでしょう。焼売の起源に関する一説に通じるものがあります。(写真出典:item.rakuten.co.jp)