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はつだ「和牛弁当」 |
日本における駅弁の起源には諸説ありますが、1885年、宇都宮駅開業に合わせて、日本鉄道の委嘱を受けた旅館「白木屋」が発売したものが始まりとされます。おにぎりとたくあんだけだったそうです。折詰の駅弁は、1890年、姫路駅で、「まねき食品」が発売したものが始まりとされています。以降、鉄道の普及とともに日本の駅弁は、多様な進化を遂げていきます。かつては、駅構内での立ち売りが駅弁売りの定番でした。昔は、汽車が駅に停車すると、窓を開け、駅弁売りを呼んで買っていました。ポリエステルの容器に入ったまずいお茶も付き物でした。私は、秋田県大館駅の鶏めし弁当、青森県八戸駅の小唄寿司が好きでした。昨年、鶏めし弁当を、何十年ぶりかに食べました。懐かしさもありますが、なかなか美味しくいただきました。甘く濃い味付けですが、昔は、あの甘さが人気を呼んだのでしょう。
日本三大駅弁と言われるのは、富山のます鮨 、横川の峠の釜飯、森のいかめしです。このクラスになると、旅の食事だけではなく、お土産としても人気でした。出張の多かった父親が、買ってきてくれ、大喜びで食べたことを覚えています。ます鮨の独特な容器も心躍る代物でした。峠の釜飯の他にも、陶器の釜を使った駅弁は多くあり、どこの家にも何個かはあったものです。捨てるにはもったいないものですが、使い道があるわけでもなく、ただ食器棚の奥にしまってありました。1960年代、旅行も出張も増えた時代、地方の駅でも日に数百食、人気の駅弁ともなると、日に数千食は売れたと聞きます。駅弁の黄金時代でした。70年代に入ると、新幹線に代表される鉄道の高速化、モータリゼーションによる鉄道離れ、安全面から立ち売りも禁止され、またコンビニの展開等もあり、駅弁は衰退していきました。
替わって人気を博したのが、デパート等の駅弁大会です。昔からあったようですが、90年代以降、デパートの人気イベントになりました。かつてほどではないものの、駅弁は、駅構内を飛び出すことで活路を開いたわけです。常設の駅弁大会とも言える東京駅の駅弁屋「祭」も大盛況。祭では、山形新幹線開通後の93年に登場した米沢駅の「牛肉どまん中」が不動の一番人気だと聞きます。山形新幹線のなかで買えますが、乗車後、すぐに予約しないと買えないほどの人気です。飽食の時代にあっては、ローカル色を強調し、高級食材を用いたものが、生き残ったということなのでしょう。もはや駅弁という名称も妥当ではないのかも知れません。いずれにしても、やはり日本人は弁当好き、ということは間違いなさそうです。
私も出張の多い仕事をしておりましたが、駅弁を買って食べることは、ほとんどありませんでした。まともな食事をとってから乗車するスタイルです。ただ、一つだけ、空腹じゃなくても、必ず買って乗車するのが、京都修学院「はつだ」の「和牛弁当」です。駅構内ではなく、駅の伊勢丹の食品売り場で買えます。肉質も、味付けもいいのですが、炭火焼の香ばしさがなんとも言えない絶品だと思います。(写真出典:tabelog.com)