2021年3月8日月曜日

間人のカニ

カニと言えば、毛ガニが一番と、ずっと思っていました。タラバは大味、ズワイは水っぽく、花咲はあっさりで、しかもカニですらないわけで、やはり毛ガニが一番、と信じていたわけです。ところが、福井県三国の海辺の民宿で蟹三昧コースを食べて、びっくり。実にカニらしい味が濃厚なわけです。いまでも毛ガニは好きですが、あれは毛ガニの味だったわけです。典型的なカニの味は、ズワイの上物の方が上だと知りました。それまで、ズワイは、味噌汁にして食べる程度でしたが、要はうまいズワイを食べていなかったということです。

私にとって、人生最高のカニは、京都・和久傳でいただいた間人(たいざ)のカニです。上品、かつ濃厚な味、なんとも言えないぷりぷりとした食感。もちろん、甲羅には熱燗を注いで飲み干しました。丹後町間人のカニは、幻のカニと言われます。カニ漁船は、わずかに5艘。とにかく水揚げが少ない。ただ、漁場が港に近いことでは日本有数とのこと。甲殻類は、水揚げした瞬間から身が縮み始めると言います。港と漁場が近いほど、美味いわけです。間人漁港は、その利点を生かすために、鮮度管理には徹底的にこだわっていると聞きます。和久傳は、高台寺前にありますが、もともとは丹後峰山町の老舗旅館。水揚げの少ない間人のカニを仕入れるルートを持っているわけです。

間人とは、実に変わった町名で、難読町名としても知られるようです。”人間”をひっくり返していることに、なにか深い意味があるのかとも思えます。ところが、町名の由来は、はっきりしていないとのこと。最も有名な話は、聖徳太子の生母である穴穂部間人皇后(あなほべのはしうどこうごう)が都の争乱を避けて滞在したのが間人であり、感謝の意味で、自らの名前を集落に与えたのだそうです。ただ、皇后の名前をそのまま名乗るのは憚られるので、”たいざ”と呼ぶことにしたとされます。”たいざ”という読みは、皇后が、この地から退座したことにちなんだ、と伝わっているそうです。やや無理のある由来に思えます。かと言って、他に有力な説もないようではあります。

かつて、日本海のズワイは、消費地までの距離がネックとなり、多くは缶詰にされていたようです。決して高級品ではなかったわけです。北海道の場合、浜ゆでして運べば運べる距離に温泉や観光地がありました。60年代下期、冷凍や輸送技術が進化すると、状況は一変します。そのきっかけとなったのは、62年に、大阪道頓堀にオープンした”かに道楽”だったと聞きます。創業者の今津芳雄は、60年に山陰の魚を売りにする料理屋を開きますが、まったく当たらず、弱っていたところ、”かにすき”が評判になり始めます。今津は、自らカニの冷凍保存技術の開発に取り組み、漁協の協力を得て、冷凍法を確立します。自信を得た今津は、大阪の一等地道頓堀に、しかも看板に動く巨大なカニのオブジェというド派手な演出で勝負に出ます。おりしも日本は高度成長真っ只中。店は大当たりし、カニは、大人気食材へと急成長しました。

穴穂部間人皇后は、欽明天皇の第三皇女として生まれています。母は蘇我稲目の娘であり、蘇我馬子は叔父にあたります。長じて、用明天皇の皇后となり、厩戸皇子、後の聖徳太子を生みました。用明天皇が崩御すると、後継者争いが起こり、蘇我と物部が激しく争います。穴穂部間人皇后の弟である穴穂部皇子は、物部に擁立されたため、叔父である蘇我馬子によって殺害されます。穴穂部間人皇后が、難を避けて丹後に身を潜めたのは、この間ではないかと思われます。ただし、記紀には、一切記載がないようです。(写真出典:tan-go.net)

マクア渓谷