2021年3月7日日曜日

小原庄助さん

映画「小原庄助さん」
週に一、二度、近くのスーパー銭湯に行くことを楽しみにしています。温浴、サウナ、そして大事にしているのは日光浴です。平日のお昼少し前に行くと、空いていて、ゆっくりできます。お湯につかっていると、しばしば頭に浮かぶのが”小原庄助さん”です。小原庄助さん、何で身上潰した、朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上潰した、ハァ、もっともだ、もっともだ、という民謡「会津磐梯山」の囃子言葉です。まぁ、簡単に言えば、働かないから、破産したというわけで、儒教的倫理観の典型と言えます。逆に言えば、朝寝、朝酒、朝湯は、それほどまでに魅力的とも言えます。さすがに朝酒はしませんが、朝寝、朝湯は、確かに極楽です。

「会津磐梯山」は、全国の盆踊りで定番の一曲となっており、最も知られた民謡の一つです。猪苗代町では、毎年、全国大会が開かれ、参加者が自慢の喉を競うようです。その起源は諸説あるようですが、明治の初め、新潟県の巻町のあたりから会津に来た労働者たちが歌っていた「五ヶ浜甚句」が元歌と言われます。甚句は、7・7・7・5で1コーラスが構成されるスタイルです。民謡には、この形式が多く見られ、前後に囃子言葉が入るのが一般的です。ソーラン節、花笠音頭、おはら節等が有名です。会津磐梯山にあわせる踊りは「かんしょ(気狂)踊り」と言われ、皆が熱狂的に踊ることから、そう呼ばれるそうです。

会津磐梯山は、もともと会津甚句、あるいは玄如節と呼ばれていましたが、1934年に、小唄勝太郎が会津磐梯山というタイトルで歌い、以降、この名前が定着したようです。小唄勝太郎のレコーディングに際しては、歌詞にも囃子言葉にも手が加えられ、いわゆる正調とは異なったものになっているようです。当時、会津では、地元の文化をないがしろにするものとして批判も多く、反対運動も起きたそうです。いかにもプライドの高い会津らしい話です。とは言え、小唄勝太郎版が、大ヒットしたため、今では、こちらの方が主流となりました。

さて、小原庄助さんとは何者なのか、という問題ですが、どうも酒好きの会津人を象徴した架空の人物、というのが定説になっているようです。とは言え、会津塗師久五郎説も人気があるようです。江戸末期の人ですが、大酒飲みで知られた人だったようです。他にも、元禄期の木材問屋、東山に実在した郷頭、あるいは戊辰戦争で戦死した会津藩士という説もあるようです。また、おわら節の”おわら”起源説もあるようです。おわらという言葉も意味不明ですが、どうも”大藁”から発想された豊作を意味する言葉だったようです。ただ、わざわざ人の名前にしているところからすれば、やはり実在の人物がいたのだと思います。昔から、朝寝、朝酒、朝湯が大好きで身上潰した奴など、山ほどいたはずですから。

実は、「小原庄助さん」なる映画も存在します。大河内伝次郎主演、清水宏監督の1949年作品です。清水宏は写実的な作品が特徴とされ、実は、小津安二郎に並ぶ名監督とも言われます。しばらくアンダーレイテッドな時代が続き、近年に至り、ようやく再評価されているようです。映画は、地方の旧家のおっとりとした主人が、人の良さゆえ没落していく姿を描いているようです。地方では、よく聞く話です。当人の脇の甘さや怠惰は弁明の余地無しではありますが、戦前の地主層が、戦後民主主義の時代を迎え、農地改革等を経て没落していく話でもあります。実は、私の祖父も小原庄助タイプだったようです。私は、よく祖父に似ていると言われます。(写真出典:amazon.co.jp)

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