2021年3月31日水曜日

ゼネラリストとスペシャリスト

永守重信氏
 日本人は「平均」好きで、アメリカ人は”Best”という言葉を好みます。その違いは、端的に教育の違いとなって現れています。読み・書き・算盤の伝統からか一般知識詰め込み型の日本の教育。個性を尊重することによって競争力を涵養するアメリカの教育。その違いは、優劣の問題ではなく、社会の在り方の違いだと言えるのでしょう。企業にあって、日本は組織重視型であり、ゼネラリスト育成に重きを置きます。アメリカは、個人主義であり、スペシャリストが求められます。アメリカ企業に、組織図を求めると、ポカンとされます。さらに強く要求すると、個人名とレポーティング・ラインが書かれたものを作成し、出してきます。

企業文化の違いは、歴史的経緯から来る部分が大きいと思います。日本企業の組織主義のルーツは、千年続いた武家社会、江戸期の武士の官僚化、明治期以降の官僚主導国家に求めることができます。一方、アメリカの場合は、欧州が”個人主義”を発見して程なく、フロンティアが始まります。そこでは、早いものが勝ち、強いものが勝つ、という苛烈な開拓競争が移民たちの間で行われました。アメリカは、今なお、フロンティアの時代を生きているとも言えます。それぞれの企業文化は、一長一短あります。日本の高度成長を支えたと言われる年功序列・終身雇用・企業内組合を、アメリカに置き換えると実力主義・流動的雇用・産別組合となります。生産を拡大する場面では日本型が有効であり、技術革新が求められる場面ではアメリカ型が有利だと思われます。低成長化、グローバル化、あるいは情報革命が進む昨今、日本の教育は批判される傾向にあります。当然だと思います。

企業で求められる能力とは、煎じ詰めれば、結果を出す力です。この能力と大学の偏差値の相関性が低いことは、皆、よく知っています。にも拘わらず、日本の教育は、依然として知識が重視され、企業も、相変わらずゼネラリスト指向の採用を行い、育成に随分時間をかけているように思います。学校と社会は別、という考え方もあるでしょうが、社会的には非効率だと思います。また、国の教育政策に関わる議論は、全国一律を前提とする以上、なかなかまとまりません。このままでは、グローバル化の進むビジネスの現場にあって、日本企業の競争力が失われていくばかりと心配になります。今、必要なことは、大学の多様性を認める行政、大学・企業が一体となって求められる人材の育成方式を試すことではないかと思います。

今後の日本の教育を考えるうえで、今、最も注目すべきは京都先端科学大学だと思います。掘立小屋から始めた日本電産を世界トップに育て上げた異色の経営者・永守重信氏が、私財を投じ、自らが理事長になってスタートさせた大学です。永守氏が、前身の京都学園に、金も口も出し始めたのは2018年3月です。もともと教育の重要性を訴え、日本の大学の在り方に疑問を呈してきた永守氏は、英語とすぐに使える専門性の獲得をめざして、京都先端科学大学をオープンしました。20年には肝入りの工学部も開設し、10年で京大を抜くと豪語しています。永守氏なら、やりかねません。これが日本の大学、産業界への大きな刺激になっていくものと思われます。

アメリカの激しい個人間の競争は、成功者よりも多くの脱落者を生み出します。それを当然として受け入れる社会的価値観が共有されていることも忘れてはいけません。どこの国においても、個人主義と集団主義はバランスしているものだと思いますが、アメリカでは、歴史的経緯から、それが大きく個人主義に傾いています。それがアメリカの成長の原動力でもあり、社会的な諸弊害の源でもあります。競争力重視の教育にシフトする場合、このことにも留意すべきです。学生も自覚が求められますし、教育者の責任は一層重くなり、企業は必要とする人材を厳選採用し配置する必要があります。また、労働市場の流動性を確保しておくことも重要となります。(写真出典:xtrend.nikkei.com)

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