監督:クロエ・ジャオ 2020年アメリカ
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上質な映像が印象に残る散文詩のような作品でした。アメリカ人は、広大な自然のなかを、RV、いわゆるキャンピング・カーで旅するのが好きです。アメリカがモノづくりを止め、リーマン・ショックに襲われると、ノマド化する白人高齢者が増えたであろうことは理解できます。本作は、時代を映しつつ、自然のなかを旅する老人たちを、詩情豊かに映し出しています。ドラマらしいドラマもなく、役者を使っていないこともあり、セミ・ドキュメンタリー・タッチとも言えそうです。NHKの「ドキュメント72時間」の上質版といった風情でもありす。演技を感じさせないフランシス・マクドーマンドの自然さが、この映画を象徴しています。アカデミー作品賞の有力候補と言われていますが、やや情緒的に過ぎるようにも思えます。本作は、ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』を読んだフランシス・マクドーマンドが共感し、クロエ・ジャオを監督に指名して、製作されたとのことです。クロエ・ジャオは、中国出身ながら、アメリカで学び活動する若手監督です。マクドーマンドは、彼女の監督2作目「ザ・ライダー」(2018)を見て、起用を決めたようです。「ザ・ライダー」は、役者を使わず、詩情豊かな映像が主人公の内面を浮かび上がらせる佳作でした。アメリカで撮っているとは言え、彼女も、中国第7世代を代表する監督の一人だと思います。近年、観客を引きずり込んで展開する伝統的な映画ではなく、フラットにドラマを提示し、判断を観客に委ねるスタイルの映画も多くなりました。クロエ・ジャオも典型的だと思います。そういう意味では、彼女の起用は、ドンピシャだったわけです。なお、クロエ・ジャオは、アマゾン・オリジナルとマーベルで次回作を撮影中とのこと。楽しみです。
アメリカの田舎の人を演じさせたら、この人の右に出る人はいないと言えるフランシス・マクドーマンドは、いまやアメリカを代表する大女優になりました。アカデミー主演女優賞2回、助演女優賞ノミネート3回、トニー賞もエミー賞も獲っています。彼女が出た映画は、何らかの賞を獲っているような印象があります。コーエン兄弟のデビュー作「ブラッド・シンプル」(1984)は、マクドーマンドのデビュー作でもあります。実在感ある田舎娘を好演していましたが、彼女の名前を不動のものにしたのは、やはりコーエン兄弟の「ファーゴ」(1996)なのでしょう。コーエン兄弟と彼女の独特な間合いがピッタリ共鳴した名作です。彼女無しに「ファーゴ」は成立しません。実生活においても、ジョエル・コーエンと彼女は夫婦ですが。
2000年前後から、アメリカで起きた産業転換は、白人労働者の没落を招きました。多くは、長く地方の工場で働き、アメリカの中流家庭を築いてきた層です。アメリカの産業界は、グローバル化戦略のなかで、世界のフラット化、つまりアメリカン・スタンダードで世界を統一し、生産をコストの安い海外へと移転していきます。アメリカ国内には、マネジメントと研究開発が残り、同時にIT分野へと産業転換が進められました。トランプは、白人中流階層の没落は、中国とメキシコ移民のせいだと言いました。違います。アメリカの産業界が選択したことであり、政府は、その変化に対応できませんでした。本作は、その間の事情を背景としながらも、決して、ここを深堀していません。旅に憧れるアメリカ人の特性、あるいはノマドが有する文明批判と、微妙にバランスさせています。テーマがあいまいになったきらいもあります。
「ノマドの一番良いところは、最後のさよならを言わないことだ。皆、"See you down the road"(どこかの道でまた会おう)と言うだけだ」というセリフが出てきます。とても象徴的な言葉のように思えます。”最後のさよなら”は、人間にとって避けがたい死のことでもあり、生きるうえで成さざるを得ない大きな判断のことでもあるのでしょう。ノマドの気楽さとも言えますが、ノマドの現実逃避という面を、端的に表しているように思えました。(写真出典:eiga.com)