2021年3月29日月曜日

制度としての結婚

Mary Daly
題名が思い出せないのですが、三島由紀夫の短編のなかで、貴族の母が娘に「恋なんて、結婚してからにしなさい」と言う下りがあったと記憶しています。また、和田誠の「お楽しみはこれからだ」のなかで紹介されていた映画「ボルジア家の毒薬」の名セリフに「恋人なら結婚してから探せばよい」というのがありました。チェーザレ・ボルジアが妹ルクレチアに言う言葉です。いずれも、結婚と言えば政略結婚しかなかった世界の話です。非人間的と思える政略結婚ですが、有力な家に生まれれば、一族の隆盛、自らの安寧、そして我が子の安全や立身のためには、当然のことだったのでしょう。政略結婚を、人権無視の残酷な仕打ちと理解するのは、現代人だからかも知れません。

とすれば、そもそも結婚という制度は何なのか、という疑問が湧きます。ホモ・サピエンスが選択した繁殖方法、あるいは愛しい人と一緒にいたいという気持ち等は理解できますが、それと社会的制度とは、必ずしも一致しません。人類は、直立二足歩行を始めた際、赤ん坊を小さく産んで、時間をかけて育てる作戦を採らざるをえませんでした。人間の乳児は、すぐには立てませんし、授乳期間が終わっても、すぐには自ら食物を確保することもできません。その長い育成期間を担うのは、授乳期間があることから、女性でした。その間、女性は、食物を自分で確保できないため、相方の男性が、食料を供給します。乳児死亡率が高かったこともあり、女性はどれだけ多くの子を産み、育てられるか、ということが種の繁栄上、最も重要でした。よって、農耕以前の社会は、母権社会だったと想定されています。

農耕が始まると、効率的に食料を確保できるようになり、かつ余剰も生まれます。生産の前提である農地、そして労働単位である家族が極めて重要な生産手段となります。農業生産を、より組織的、効率的に行なうために生まれたのが家父長制度だったのでしょう。農地も労働力もすべて家父長のみに所有権が認められ、それを根拠とした統治が行われる仕組みです。結婚は、家父長制度を支える仕組みとして制度化されたのでしょう。いわば、制度としての結婚とは、所有関係の明確化だったのでしょう。極端に言えば、妻をどうしようと家父長である夫の勝手だったわけです。もちろん、現代では、法的に家父長制度は否定され、男女、親子を問わず、すべての個人に等しく人権が認められています。しかし、それが法的に整備されてから、まだ100年も経っていません。

ラディカルなフェミニスト(女性解放活動家)は、結婚制度を否定します。当然だと思います。男女平等を勝ち得るためには、女性を従属的位置に固定した家父長制度、およびそれを支える仕組みを排除する必要があります。法的には改正されたとしても、社会には、まだまだ家父長制に基づく仕組みや意識が多く残ります。残存する仕組みの代表が、制度としての結婚なのでしょう。また、意識の問題としては、男性側ばかりに問題があるとは言えません。女性の意識にも、まだ多く家父長制の影響が残ります。昔、台湾財界の方から「50年かけて築いたものは、無くなるまで50年かかります」と聞かされました。台湾における日本の影響の話です。同じ理屈が成り立つのなら、相当過激な対策を講じない限り、男女平等が実現するのは、かなり先のことだと言えます。

欧米のラディカル・フェミニストにとって、最大の難敵は、キリスト教かも知れません。アメリカの神学者にしてラディカル・フェミニストのメアリ・デイリーは、「神が男なら、男は神である」と言い切り、それまでタブーであったキリスト教の家父長制的性格を批判しました。しかし、デイリーは、神を否定したわけではありません。神の言葉が問題なのではなく、家父長制を前提としたその記述に問題があるとするフェミニズム神学を創設しました。(写真出典:nytimes.com)

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