その人気は、今も衰えることがなく、死後のセールス等も大記録となっています。メンフィスの自宅”グレイスランド”は、訪れる人が絶えず、国定史跡に認定されているほどです。さらに驚くべきことに、エルヴィスのものまねを生業にしている人が8万人以上いると言います。確かに、アメリカ南部では、いたるところにエルヴィスがいます。皆、判で押したように白いベルボトムのジャンプ・スーツ、派手なもみあげにサングラス、と晩年のラスヴェガスのステージを真似しています。もはや典型的な南部の光景の一つと言え、何の違和感もありません。エルヴィスは生きているという風説が絶えないのも、そっくりさんがどこにでもいるからではないか、とさえ思います。南部でキングと言えば、エルヴィスのことですが、その絶えない人気は、もはや宗教レベルとしか言いようがありません。
いつの時代にも、若い世代は旧体制に対してNOと言うものだと思いますが、50年代のロックンロールほど強烈だったものはなく、60年代の世代断絶も、ここから始まったと言えます。いわばその教祖たる存在がエルヴィスでした。ロックンロールは、白人のカントリー・ミュージックと黒人のR&Bが、譜面の上ではなく、彼の体の中で合体して出来上がった音楽です。腰を振って歌うスタイルが低俗だと批判されたわけですが、それはエルヴィスの発明ではなく、黒人文化でした。ミシシッピの田舎町で生まれ、メンフィスの低所得者用住宅で黒人とともに育ったエルヴィスならでは音楽と風俗だったのでしょう。人種差別が激しかった頃のアメリカでは、黒人のように歌い振る舞う白人は、かなり衝撃的だったはずです。若者たちは、そこに旧体制からの自由を見出すわけですが、同時に、それは南部の貧乏人が、北部の白人たちに突き付けた、低俗さというテロだったとも言えます。
エルヴィスの最大の特徴は、甘い声と低俗性だと思います。20歳そこそこで、突然、大金を手にした南部の貧乏人がやったことは、英国風の貴族的生活を目指すことではなく、ピンクのキャディラックに乗り、毎日ベーコンを1パウンド、バナナ・プディングをケースごと食べることでした。貧しい少年が日々夢みたことの実現だったわけです。キングは、何事にも最高を求めましたが、あくまでも貧乏人が発想する身近な夢であり、その低俗性が変わることはありませんでした。エルヴィスは、大成功しても、南部の貧乏な少年であり続けたとも言えます。そのことこそが、エルヴィス人気が衰えない真の理由ではないかと思います。それは、ホワイト・トラッシュとも、ヒルビリーとも呼ばれる南部の白人たちの世代を超えて続く貧困の反映でもあります。ドナルド・トランプの異常な人気とも重なる面が多いように思えます。
驚いたことに、クック・パッドに、エルヴィス・サンドイッチのレシピが、十数件も投稿されていました。エルヴィスが食べている写真を見ると、結構、分厚いサンドイッチになっていますが、クック・パッドでは、お上品なものばかりです。本物は、バターで揚げ焼きしたパンに、ピーナッツ・バター、ベーコン、バナナを挟んだものです。エルヴィスにとっては、おふくろの味であり、ほぼ毎日食べていたと言います。そのカロリーの高さが、エルヴィスの体にもたらした影響は明らかです。(The Ultimate Elvis Tribute Artist Contest 写真出典:nbcnews.com)