2021年3月26日金曜日

ジャスミン革命

ジャスミン
1936年に起きた二・二六事件を、安易にクーデター未遂事件と呼ぶ傾向があります。クーデターとは、支配階層内部における武力による非合法な政変のことです。そこで言う”政変”とは、現政権が、他の政権にとって替わることです。二・二六事件の青年将校たちが現政権の閣僚を暗殺し求めたことは、自らが政権を奪取するのではなく、天皇に親政を敷いてもらうことでした。これでは現実世界の政変とは言えず、精神論に近い世界です。支配階層内部において、統治のあり方を武力で転換しようとした、という意味ではクーデター的ではあります。対して、革命とは、被支配階層の蜂起によって既存政権を転覆することです。

2010年12月、チュニジア中部の街シディ・ブジドで、屋台で野菜を売るモハメド・ブアジジは、許可証を持っていないという理由で、商品と商売道具を没収され、暴行まで受けます。ブアジジは、役所に何度も掛け合いますが、賄賂を要求される始末。思い余ったブアジジは、県庁前で焼身自殺します。その模様は、フェイスブックで拡散し、アル・ジャジーラで放送され、国民の知るところとなります。30%を超える失業率にあえぐ若者たちが声を挙げます。SNSを通じてデモは拡大し、23年間にわたり腐敗した政治を続けてきた独裁者ベン・アリ―打倒が叫ばれます。警察は市民に発砲、多くの犠牲者を出します。軍隊も鎮圧に投入されます。しかし、軍部は発砲命令を拒絶します。さすがの独裁者も、ここまで観念し、ベン・アリ―は退陣します。

いわゆるジャスミン革命であり、SNSによる革命とも呼ばれました。チュニジアの国花はミモザですが、国民に愛されるジャスミンから命名されました。その後、暫定政権は、民衆の要求に多く応え、総選挙も実施されました。しかし、権力の不在に伴う政治的混乱は続き、内乱の危険もありました。それを回避したのはノーベル平和賞も受賞した「国民対話カルテット」の存在です。労働団体、経営者団体、人権団体、弁護士団体が連携し、対話による解決を呼びかけました。ジャスミン革命を特徴づけているのは、SNSと国民対話カルテットだと思います。とは言え。チュニジアは、今も経済の不調、高い失業率に苦しんでおり、革命を疑問視する声もあるようです。

ジャスミン革命は、SNSを通じて、即座に、中東各国に飛び火しました。いわゆるアラブの春です。リビアやエジプト等では独裁者が退き、多くの国で民主化プロセスが進みます。しかし、チュニジアのような推移をたどった国はありません。多くは、多少民主化したものの、現体制が維持されました。権力の不在につながった国々では、他国の干渉、新たな軍事クーデター、そして内乱をも引き起こします。内乱では、多くの難民が生まれ、欧州を目指しました。特殊な展開となったシリアでは、宗教的対立もあり、他国やISの干渉もあり、内戦は激化、多くの難民を生みました。アラブの春は、本当に春だったのか、とも言われます。SNSによる自然発生的な民衆蜂起は、画期的なことでした。しかし、多くの場合、組織化されていないことが、その後の混乱を生じさせたとも言えます。

世界は、まだ、SNSの本質、あるいはその扱い方を十分には理解できていないとも思えます。とは言え、SNSが、独裁に対する極めて有効な対抗策となり、非民主的な政権運営に対する牽制になり得ることは証明されたと思います。それを知っているからこそ、中国は、徹底的なSNS規制をかけているとも言えます。(写真出典:kurashi-no.jp)

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