2021年3月25日木曜日

馬拉糕

菜香の馬拉糕
岩手県の水沢で、出来立ての郷土菓子「雁月(がんつき)」を食べた時には、その美味しさに驚きました。要は黒糖蒸しパンです。昔から、農作業時の小昼(こびる)、つまりおやつとして食べられてきたとのこと。調べると宮城県と岩手県で好んで食べられてきたようです。海岸部では外郎タイプ、内陸部は蒸し菓子と分かれるようですが、いずれも雁月と呼ばれます。雁月という名称は、丸い蒸しパンを月に見立て、上にちらしたゴマやくるみを雁に見立てたと言い、実に風流なものです。元々は、秋の収穫時期の祝い菓子だったという説があります。広重の名作ではありませんが、月に雁、とは季節感もピッタリです。また、仙台藩が米の消費を節約するために、蒸しパンを奨励した、という説もあります。岩手の県南地方は仙台藩の領地でしたから、頷ける話です。

また、一説には、中国の寒食節(かんじきせつ)に由来するとも言われます。寒食節は、春、農耕の始まりに際して、数日間、火を一切使わず、火を改めるという習慣です。日本ではなじみ薄ですが、世界的には似たような行事が多く存在するようです。その際に食べるのが、冷たい食事、つまり寒食であり、蒸しパンは、その献立の一つだったようです。また、介子推の焼死を弔って行ったのが寒食節という説もあります。介子推は、晋の文公の論功行賞に漏れたことを嘆き、母と山中に籠ります。文公は下山させるため、山に火を放ったところ、介子推は母を抱いたまま焼死。文公は、その死を悼み、命日から3日間は火を使うことを禁じた、という話です。介子推は、実在しますが、この話は後世の創作のようです。中国の寒食節は、明代に清明祭に吸収される形で廃れたそうです。

しかし、なぜ旧仙台藩だけ寒食節なのか、という点は疑問であり、やや眉唾です。中国を持ち出されると、雁月と馬拉糕の類似性も気になります。蒸し菓子も中国からもたらされたものだと思います。先祖が同じなので、類似していて当然というわけです。馬拉糕は、私の大好物の一つです。馬拉糕好きゆえ、雁月も、すぐ気に入ったのでしょう。馬拉糕の起源もはっきりしていないようです。馬拉は、中国語でマレーシアのことであり、マレーから伝わった菓子とも言われます。またマレー人のように褐色だから馬拉糕と呼ばれるようになったという説もあるようです。雁月などの蒸し菓子と馬拉糕の大きな違いは、ラードを使うことです。それによって、独特なしっとり感が出ます。

蒸しパンの歴史そのものも明確ではありません。農耕は小麦から始まりますが、そのままでは食べれないので、小麦を粉にして水でこね、そのまま焼いたものがパンの始まりなのでしょう。ヨルダンからは、1万4千年前のパンの化石が出土しているようです。発酵させてから焼くパンは、4千年ほど前からあったようです。蒸しパンに限って言えば、メソポタミアやエジプトではなく、中国が起源なのではないか、とも聞きます。華北には、もともと蒸し器が存在し、そこに中央アジアから小麦が伝来したようです。発酵させない窩々頭、発酵させた饅頭、それらで何かを包んだ包子は、いまでも中国北部の主食です。蒸し菓子も中国起源と考えるのが自然なのでしょう。

私が最も好きな馬拉糕は、横浜中華街の菜香のものです。菜香では、馬拉糕を、10時間かけて、じっくり蒸し上げるといいます。そのしっとり感とふわふわ感は、他に類を見ないと思っています。私は、レンジで軽くチンして食べます、ふわふわ感が増して、より美味しくいただけます。よく生クリームを添えて食べるとも言われますが、私のお勧めは、メープル・シロップです。蜂蜜でもいいのですが、メープル・シロップの方が馬拉糕には合うように思います。(写真出典:saikoh-shyokuhin.com)

マクア渓谷