2021年3月24日水曜日

椰子の木陰

映画「フラガール」から
東日本大震災から1年後のことです。その頃、毎年、営業成績が優秀な職員200人ばかりを集めてコンベンション兼研修会を行っていました。プログラムの一つが、社外講師による講演会でした。その年は、震災後の対応が続いていたこともあり、なかなか講師を決められずにいました。3月、NHKで、スパリゾートハワイアンズのフラガールによる「全国きずなキャラバン」を密着取材したドキュメンタリーを見ました。施設が大きな被害を受けて、営業再開のめどが立たないなか、フラガールの皆さんは、フラで皆を笑顔にしたいと、避難所から始めて、全国をキャラバンします。泣きました。これだ、と思いました。

早速、常磐興産に斎藤社長を訪ね、社長のご講演、そしてフラガールの皆さんに踊ってもらうことをお願いしました。既に営業を再開していたにも関わらず、ご快諾いただきました。斎藤社長は、震災の際、帰るに帰れなくなった東京からのお客さまたちを、自らバスを運転して、それぞれのご自宅まで送り届けた、という方でした。講演会当日、斎藤社長には、スパリゾートハワイアンズの歴史、震災時の対応等を話していただきました。フラガールの皆さんの明るく元気なフラには、元気をもらいました。そして最後に映画「フラガール」の主題歌「フラガール~虹を~」が流れ、たおやかなフラが踊られました。涙が止まりませんでした。

映画「フラガール」は、李相日監督、松雪泰子主演の、2006年の大ヒット作です。キネマ旬報年間第一位、日本アカデミーはじめ、多くの賞も獲りました。にもかかわらず、私は、日本映画をほとんど見ないので、講演を依頼した段階では見ていませんでした。その後、講演会前に見ることができました。ボロ泣きです。最も泣けた映画の一つです。1966年に開業した常磐ハワイアンズの創成期に、フラガールを指導したカレイナニ早川とずぶの素人だった炭鉱の娘たちの物語です。ジェイク・シマブクロの音楽も良く、特に主題歌は名曲だと思います。ジェイクは、ハワイが生んだウクレレの天才奏者です。フラだからというこで、安易に依頼したのかも知れませんが、大正解でした。

常磐炭田の歴史は古く、1856年に石炭層が発見されると、順次、採掘が始まり、1870年代には、大規模な開発が行われました。首都圏に近いという好立地が幸いし、大いに栄えますが、1960年代に入ると石油に押され、廃坑が進みます。そこで、新たな収益源の確保、炭鉱労働者の雇用確保という観点から、豊富な温泉を活用した「常磐ハワイアンセンター」が計画され、1966年にオープンします。高度成長、レジャー・ブームといった背景があったにせよ、東北に椰子の木陰を作るなど、実に思い切った判断だったと思います。私なら反対します。事業性もさることながら、炭鉱労働者の戸惑いは半端なかったと思います。ましてや、娘たちのフラダンスなど、目が点になったはずです。

経済状況に左右された浮き沈みはあるものの、営業努力もあり、スパリゾートハワイアンズは概ね順調です。ブームとともに作られた全国のレジャー施設が壊滅状態であることを思えば、実に見事なものです。失礼な言い方になりますが、”まがい物”もここまでくると、一つの文化を形成したとも言えます。産業転換の成功例ですが、その背景として、大真面目に異業種に取り組んだ炭鉱の皆さんの並々ならぬご努力があり、そして、なかでもフラガールの皆さんの研鑽が認めらたことが大きかったのでしょう。それが、映画「フラガール」の大ヒットにもつながりました。炭鉱の跡地に椰子の木陰を作るという、まさに奇跡のプロジェクトですが、真似をしてはいけない事業だとも思います。(写真出典:hawaiians.co.jp)

マクア渓谷