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六面サイコロの原型距骨 |
サイコロの最も古い形態は、メソポタミア、インド、中国等々で出土する貝殻や木片だそうです。いわゆる神託ですから、吉凶の二択を占えば事足りるわけです。ただ、三角柱や四角柱、さらにはサイコロとして使用したと思われる動物の距骨(くるぶしの骨)も出土しているようです。これがインドやエジプトで出土する六面体サイコロの原型とも言われているようです。表裏の合計が7になる六面体サイコロは、紀元前8世紀のアッシリア遺跡から発見されたものが最古だと言われています。しかし、三択以降のサイコロは、神託というよりは、遊びが目的だったのではないでしょうか。恐らく、サイコロを使った最初の遊びは”賭け”だったと考えられます。
人間が、なぜ、如何にして”賭け”を始めたのかは謎です。賭けは、生産的ではないので、遊びと理解されますが、その始まりは、神託の仕組みを活用した紛争処理だったのではないでしょうか。それが娯楽へと進化するわけですが、とてつもなく古くから行っていたことだけは間違いなさそうです。占いが先に始まったのか、賭けの方が先かは、結構、微妙なところです。いずれも、結果が予測不能と言う点では類似し、双方でサイコロが使われたことは理解できます。結果が見えないなか、未来に対する判断を積み重ねるのが、人生だとも言えます。人生は”賭け”の連続です。賭けは、人間の生き方と深く関係しているように思えます。しかし、なぜ、それを遊びにしたのかは、やはり謎です。強欲、あるいはスリルや高揚感だけで説明できるものでもなさそうな気がします。
賭けの要素と、やはり人間の性分である”競争”を遊びに仕立てたのが、サイコロを使うボードゲームです。ある意味、人生が凝縮されたような代物です。最古のボードゲームは、5,500年前のエジプトの”セネト”だと言われます。棒や動物の骨がサイコロとして使われていたようです。いわゆるレース・ゲームですが、その遊び方は、いまだに論争があるようです。賭けもボードゲームも、人々が熱中しすぎ、また不正も横行するため、古くから禁止令が出されてきました。フランス革命時に始まったギャンブルへの課税は、ゼロ・サム・ゲームをマイナス・サムへ変える有効な対策だと思います。しかし、射幸性が残る限り、人々はやめません。
賭けもボードゲームも、農業が生み出した所有の概念、競争の概念、あるいは時間的余裕を背景に成立したものと考えます。生産性の高さゆえ文明をもたらした農業ですが、一方で、非生産的なサイコロも同時に生んだということは、実に皮肉です。先のことは分からないからこそ、日ごろから汗水流して地道に働く、という農業的道徳観は、そもそも無理があり、動物としての人間には負荷が高すぎるのでしょう。サイコロは、その道徳観に対するテロとしてではなく、負荷を軽減する仕組みとして生まれたように思えます。柳田国男の「ハレとケ」は、日本だけではなく農耕社会全般に通じる概念だと思います。(写真出典:ja.wikipedia.org)