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山本常朝 |
葉隠が、永らく”秘伝”として世に出ることがなかったことも、付加価値を高めたものと思われます。山本常朝自身が、まとめた後は焼き捨てよ、と言っていることもあり、”秘伝”とされました。後に藩内で写本が出回ると、藩は、これを禁止しています。禁止した理由は、当時の藩主や重臣を批判し、官僚化した武士のあり方を否定していたためであり、いわゆる奥義などの「秘伝」とは意味が異なります。そこで語られていることは、体系化された思想でもなく、武術の指南書でもありません。藩士の処世訓と呼ぶのが最も相応しいと思います。
処世訓とは言え、古武士が、奉公のなかで培った思想や考え方に裏打ちされたものであり、太平の世で失われつつあった武士の本分を伝えています。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」は、奉公するにあたり、死ぬ気で腹を据えて仕えなさい、という覚悟のあり様を語っている言葉だと思います。「お家を我一人で荷なう」気概を持たなければ、奉公などできない、とまで語っています。既に戦国の世は過ぎ去ったとは言え、常に帯刀し、切腹等自死も身近だった時代ではあります。だとしても、決して死を美化した言葉ではありません。
処世訓としては、現代にも通用するほど核心をついたものが多く収められています。あくびの止め方、酒の座の心得、恋愛について、といった下世話なものから、上手に人に意見するやり方、部下はほめろ、多様な事態を事前に検討しておけ、といった職場の知恵、あやまちの一つもない人間は信用できない、といった人間論まで実に様々なことを語っています。なかでも「(目付役は)上に目を付くるが本意なり(重臣は、主人に意見するのが仕事だ)」、あるいは「主人にも、家老・年寄にも、ちと隔心に思われねば大業はならず(上から煙たがられるくらいでないと大きな仕事はできない)」など、現代のサラリーマンにも聞かせたいところです。
三島由紀夫はじめ、葉隠を絶賛する声も多いのですが、書としての葉隠というよりは、古武士の生の声に、武士としての心意気を見てとり、感じ入ったということなのでしょう。武士の官僚化が進んだ時代だったからこそ、山本常朝の語る武士の本分は潔く、常に死と向き合う武士の本質を伝えます。とは言え、処世訓の一文だけを都合よく取り出し、これぞ武士道と喧伝することで、多くの若者を死地へと送った軍国主義の欺瞞は許しがたいものがあります。それを知れば、山本常朝は、烈火のごとく怒ったのではないかと想像します。(写真出典:ja.wikipedia.org)