ドイモイは、1986年、ヴェトナム共産党が採択した、いわばヴェトナム版の改革開放政策です。ヴェトナムの経済成長はドイモイから始まります。その特徴の一つは、決して急激ではなく、緩やかに成長を続けていることです。共産党による一党独裁は継続されていますが、政治、経済の運営はヴェトナム型といわれる独特なものです。社会主義政権は、独裁を生みやすい体制ですが、ヴェトナムの場合、公的組織の政策決定は、幹部3者の合意で成されるよう設計されているようです。従って、独裁は起こりにくい一方、物事の進み方は、水牛の歩みのようにゆっくりとしたものになります。
2010年頃、世界の工場となった中国では、賃金の急上昇が始まり、進出企業はコスト抑制のために東南アジア各国へと工場を展開します。いわゆる「チャイナ・プラス・ワン」です。その最右翼がヴェトナムでした。ドイモイ以降、日経企業もヴェトナムへ進出を始めましたが、ここで一気に加速されました。10年ほど前、ハノイで聞いた話では、さらに多くの日系企業がヴェトナム進出、あるいは規模拡大を狙っているが、労働力不足がネックになっていると聞きました。どうも、一次産業からの労働力の流出が限定的であることが原因のようでした。日本の高度成長は、貧しい農村から工場へ流入した労働力に支えられていました。いわゆる産業転換です。ところが、ヴェトナムの農村は、決して貧しくはなかったのです。
ヴェトナムの稲作は、気候と水に恵まれ、 南部では三毛作、北部でも二毛作が当たり前となっています。加えて、ヴェトナムのドイモイは、工業化よりも農業により大きな影響を与えたと言われます。ヴェトナムの農業は、ソヴィエトのコルホーズや中国の人民公社と同じく、集団農業方式をとっていました。ドイモイは、生産性が低く、非効率で、かつ永らく農民の不満の種だった集団農業を終わらせました。農民は、いわば自作農になったわけです。生産性は高まり、農家の収入は増えました。結果、農村からの労働力流出は緩やかで、また労働力不足に起因する農業の機械化も起こりませんでした。
数年前、ハロン湾を再訪しました。ハノイからの道路は、多少良くなっていましたが、農村風景に大きな変化はありませんでした。ただ、ハロン湾には、観光施設が増えており、海辺にテーマパークまで建設中でした。幻想的なハロン湾にも、世俗の波は、確実に押し寄せているわけです。いかにゆっくりとは言え、確実にヴェトナムも変わっていきます。それは当然としても、残すべきは何かということをしっかり考え、美しい風土や文化を守ってもらいたいものです。(写真出典:britannica.com)