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李香蘭 |
国民栄誉賞にも輝いた服部良一は、ジャズをベースに、日本のポップ・ミュージックを形成した作曲家と言えるのでしょう。生涯3,000曲を作り、別れのブルース、東京ブギウギ、青い山脈、銀座カンカン娘等々、多くのヒット曲を生みました。作詞の西条八十は、象徴詩人、仏文学者としても知られますが、多くの名曲を作詞しています。東京行進曲、東京音頭、支那の夜、誰か故郷を想わざる、青い山脈、ゲイシャ・ワルツ、王将等々です。いずれにしても、当時の最も優れた才能がコラボして、昭和史に残る名曲が生まれたわけです。
映画「支那の夜」(1940)は、渡辺はま子が歌う「支那の夜」の大ヒットをうけて東宝が企画した映画です。大スター長谷川一夫と、当時、満洲映画協会(満映)の大看板だった李香蘭こと山口淑子が主演しています。上海が主な舞台のいわゆるメロドラマですが、抗日ゲリラ等、世相も反映されています。楽曲「支那の夜」が国内よび東南アジアで大ヒットしていたもあり、アジア各地で映画もヒットします。中国では、日本の中国侵略を正当化する国策映画とする批判も多かったようですが、一方、日本国内でも、軍部等からは、国策に反する映画と批判されます。実際のところは、国も軍も関与していませんが、当時の検閲を通すための演出は加えられたようです。
蘇州夜曲は、中国も含めて、今でも多くカバーされ、歌い継がれていますが、大ヒット曲「支那の夜」を聞くことは稀です。「支那」という言葉ゆえ、ということになります。支那は、China同様、秦朝に由来し、仏典で使われた言葉です。決して差別的用語ではありません。ただ、日本帝国による中国侵攻を想起させるとして、中華民国、中華人民共和国から抗議を受け、使われなくなった言葉です。支那そばは中華そばになり、シナチクはメンマになりました。まぁ、中国が世界の中心で、それ以外は蛮族であるという中華思想に基づく国名もどうかとは思いますが。
蘇州夜曲のメロディは、服部良一が、杭州の西湖に浮かべた小舟のうえで、即興で吹いたサックスに始まると聞きます。1974年、雪村いづみが、キャラメル・ママをバックにカバーし、注目を集めました。以降、カバーされることが多くなったようです。個人的には、オリジナルの李香蘭、雪村いづみ、上々颱風版等が好きです。ただ、最も風情を感じるのが、中国語版です。ちなみに、アジアの歌姫と言われたテレサ・テンのヒット曲「夜来香(イェライシャン)」のオリジナルも李香蘭です。服部良一は、この名曲をもとに交響詩「夜来香幻想曲」を書き、終戦前夜の上海で上演、ほとんどが中国人という観客から大喝采を浴びたと聞きます。(写真出典:pinterest.jp)