革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)と、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)は、名前からわかるとおり、1957年に創設された革命的共産主義者同盟(革共同)の分派です。革共同は、フルシチョフによるスターリン批判を受け、かつ武力闘争を否定した日本共産党、ハンガリー動乱を鎮圧したソヴィエトへの反発を強めた極左勢力が結集して創設されました。同時期に暴力革命を標ぼうする共産主義者同盟(ブント)も結成され、全日本学生自治会総連合(全学連)と連携し、華々しく60年安保闘争を戦います。しかし、安保闘争に敗北したブントは分解し、多くの活動家が革共同に流れます。
革共同は、当初から、トロツキストと反スターリン派が対立し、まずはトロツキストが離脱。63年には、運動方針を巡る対立から中核派と革マル派に分裂します。この共産党系二派と、日本社会党系の社会主義青年同盟の武装闘争派である解放派=革命的労働者協会(革労協))が、新左翼の中心的存在となりました。この三派が主導権を争いながら、ヴェトナム戦争反対闘争を経て、学園闘争で全学共闘会議(全共闘)への浸透を図り、また三里塚闘争へ参加しつつ、70安保に向かいます。その間にも、武力行使重視の中核派と革労協、組織拡充重視の革マル派の対立は深まり、内ゲバが始まります。
70年安保、および沖縄返還闘争の敗北後、学生運動は鎮静化します。大衆動員型の闘争目標を失い、学生にも離反された新左翼各派は、内ゲバとテロに走ります。72年以降、本格化した中核派・革マル派・革労協の内ゲバは、100人の死者と多数の負傷者を出します。また、ブントの極左で革命戦争を目指す赤軍派によるハイジャック、赤軍派の流れをくむ日本赤軍のテルアビブ空港事件、連合赤軍の内ゲバと浅間山荘事件、あるいは東アジア反日武装戦線の爆弾テロがつづきました。警察の追及も厳しさを増し、活動家たちは潜伏生活に入り、特に幹部たちは、深く潜行します。
20年9月、中核派最高指導者の清水丈夫議長が、半世紀ぶりに姿を現し、21年1月には記者会見を開きました。何故、今頃になって、姿をあらわしたのか、という疑問が浮かびます。意気軒高に「資本主義をぶっ倒すために闘わなければならない」と語り、一連の事件への関与を否定するあたりは、ほぼシーラカンス状態とも思えます。現在でも4,700名という勢力を保持する組織の引き締めのために、姿を現したということのようですが、まずは中核派の60年を「総括」してもらいたいものです。(写真出典:sankei.com)