2021年1月8日金曜日

どら焼き

和菓子業界は、洋菓子に押されて、衰退傾向なんだろうと思っていました。大きな間違いでした。経営者の高齢化、後継者不足等で、企業数は減っていますが、微減レベルであり、売上自体には大きな変化は見られません。ほとんどが和菓子用に使われる小豆の消費量にも大きな変化はありません。贈答用の需要が底堅いこと、季節感があること、和菓子を好む傾向がある高齢者が増加していること、さらに天然素材が多く健康に良いとされること、等々が需要を支えているようです。

好きな和菓子ランキングを見ると、大福、団子等と並び、常に上位に入るのが「どら焼き」です。入手しやすいことも人気を支えているのでしょう。どら焼きの起源は、はっきりしていません。よく言われるのが、弁慶説です。怪我をした弁慶が、手当をしてくれた農民に、お礼として、銅鑼を使って焼いたのが始まりとされます。弁慶が登場した時点で、眉唾ものと思ってしまいます。小豆のあんこは、鎌倉時代に登場したようです。小麦粉を溶いて、薄く焼き上げた皮であんこを巻く、いわゆる餡巻も同時期に生まれたと想像できます。砂糖を入れたあんこは室町期に登場し、江戸期に一般化します。

江戸期のどら焼きは、丸く焼いた皮にあんこを乗せ、周りを織り込んで四角くしたものだったようです。フランスのガレットのようなものなのでしょう。ちなみに、どら焼きという名称を最初に使ったのは、京都の”笹屋伊織”だったようです。江戸末期のことです。今も、当時のままのどら焼きを売っていますが、皮と餡を重ねたうえでグルグル巻きにしたものです。餡巻の豪華版といったところでしょうか。丸い一枚皮のどら焼きは、明治初期、大伝馬町の”梅花亭”が売り出します。当時は、一枚の丸い皮を半折りにして餡を包んでいたようです。日本橋の清寿軒は、小判どら焼きとして、このスタイルのものも売っています。梅花亭は、今も霊岸島で営業していますが、既に一枚もののどら焼きは売っていません。

現在の二枚の皮で餡を挟むどら焼きは、大正3年、上野の”うさぎや”が発売しました。上質な餡、ふわっとしていて、かつもっちり感のある皮。どら焼きの皮は、かくあるべし、という皮だと思います。うさぎやは、どら焼き界の王様です。私が考えるどら焼き四天王は、うさぎやの他に、絶妙に柔らかい皮の池袋・すずめや、洋菓子のようなふかふかした皮の浅草・亀十、香ばしい皮の日本橋・清寿軒。いずれもあんこの上質さは言うまでもありません。問題は、どこも予約するか、並ばないと買えないことです。

過日、四ツ谷の”わかば”で鯛焼きを買おうと並んでいると、あんこは体に良い、というポスターを見つけました。あんこの原材料である小豆は、ポリフェノールと鉄分を豊富に含んでいること、あんこは見た目よりもカロリーが低いこと等が挙げられていました。長生きしたかったら、あんこを食べなさいとも言っています。もちろん、過ぎたるは…、ということではありますが。(うさぎやのどら焼き 写真出典:woman.mynavi.jp)

マクア渓谷