昭和史研究の第一人者とも語り部とも言える半藤一利氏が亡くなりました。文藝春秋編集長として、あるいは「日本のいちばん長い日」、「ノモンハンの夏」、「昭和史」、「幕末史」はじめ多くの著作で知られます。明治維新150周年で、にわかに薩長史観ブームが起きましたが、半藤氏は、以前から反薩長のスタンスをとっていました。20年近く前、半藤氏の講演会で、明治維新は、本質的には、徳川に対する薩長の讐であったと聞き、はじめて幕末を理解したように思いました。歴史は勝者が作る、と言われますが、勝者の歴史だけが歴史ではない、ということを教えてもらったと思います。
世界史的には、1990年代から、グローバル・ヒストリー、世界史観という流れが登場しています。反西洋史観とも言えます。長いこと世界を支配してきた西洋中心主義を見直し、各地域の相互作用を世界規模で捉えるという見方です。近世における西洋の奇跡はなぜ起こったのかを科学的に分析することでもあります。1998年、アンドレ・グンダー・フランクは、「リオリエントーアジア時代のグローバル・エコノミー」のなかで、西洋は世界規模の経済やシステムにおいて中心だったことはない、と宣言します。17世紀までの世界の中心はアジアであり、18世紀以降は西洋の時代になるが、今、またアジアに移りつつある、とします。
また、グローバル・ヒストリーを代表すると言われるケネス・ポメランツの「大分岐」(2000)は、18世紀半ばまで、世界の主要国は、初期的な市場経済による成長が同時並行的に進展していたが、大分岐によってイギリスはじめ西洋が抜け出たとします。大分岐が起きた要因は、西洋が巨大なアフリカや南北アメリカという植民地に近かったからだ、とします。進化生物学者のジャレド・ダイアモンドは、ベストセラーとなった「銃・病原菌・鉄」(1997)で、西洋の奇跡は、西洋人が優秀だったからではなく、地域的要因の重なりの結果だったことを明らかにします。
南北に長いアフリカ、アメリカ両大陸に比べ、東西に広がるユーラシア大陸は、気候帯に極端な違いがなく、作物、家畜、技術、情報等の交流が比較的容易でした。病原菌に対する抗体獲得についても同様です。大航海時代以前、中央アジアは、長らく世界の中心だったとも言えます。同じユーラシア大陸にありながら、18世紀、西洋が東洋を抜いた理由は、山がちな欧州では中小国が林立し、競争が激しかったためと言われます。対して平原の多い東洋では、大帝国が成立しやすく、その皇帝たちは、国外との交流よりも国内統治を優先せざるを得ませんでした。
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元代のハンドキャノン |