2021年1月23日土曜日

日の丸半導体

中国ハイシリコン社の3D半導体
米国第46代大統領ジョー・バイデンは、就任当日、トランプのパリ協定離脱等、身勝手でクレイジーとしか思えない政策の修正に着手しました。今後も、新規政策とともに、軌道修正が続くものと思われます。ただ、対中国貿易政策、特にファーウェイへの制裁等については、戦術面での修正はあるにせよ、基本方針は継続されるものと考えます。それは、かつて日米貿易摩擦で日本も経験したアメリカの常套手段だからです。日米貿易摩擦は、1972年の日米繊維交渉に始まるとされ、その後、80年代には、主に自動車やハイテク分野を中心に、米国は強い圧力をかけました。その間、分野別攻防の他にも、プラザ合意、構造協議、さらに言えばロッキード事件等、様々な形で圧力がかかりました。

かつて「産業の米」とも呼ばれた半導体は、日本のお家芸であり、世界シェアが5割を超えるまでになります。日本の技術の急速な進化を恐れたアメリカは、70年代後半から、反ダンピング訴訟等で揺さぶりをかけます。そして、86年、「防衛産業の基礎を脅かすことで安全保障上の問題がある」という理屈で、強引に「日米半導体協定」を結び、日本を抑え込みます。87年には、協定の効果不十分として、パソコン、TV等に100%の報復関税を掛け、91年には第二次半導体協定も締結され、日の丸半導体は、完全に抑え込まれました。

アメリカは、日本の半導体業界を潰そうとしたというより、圧力を掛けながら、時間稼ぎをしたと言えます。93年、インテルが画期的に性能を向上させたマイクロプロセッサーPentiumを発売し、95年にはマイクロソフトがウィンドウズ95を発売します。コンピューターの世界は、メインフレームから、一気にパソコン、インターネットの時代へと入っていきます。同時に、アメリカでは、設計と製造を分離して開発スピードを上げるファブレス化も一気に進みます。日本が得意としたメモリー分野には、台湾、韓国等も参戦し、価格が下落していきます。ゲームが、劇的に変わった瞬間でした。日の丸半導体は、ついていけませんでした。

日本の半導体メーカーの多くは、総合電機メーカーの一部門か子会社でした。91年にはバブルが崩壊し、総合電機メーカーも不良債権処理に追われることになります。半導体部門は業績が悪化しただけではなく、ムーアの法則どおりに急速進化する半導体には、多額の研究開発費と設備投資が必要とされました。高い技術力を持つ半導体部門は、高い将来性が見込まれるにも関わらず、目先の業績のために清算されていきます。行き場を失った技術者たちは、いわゆる「土日ソウル通い」を始め、技術の流出が起こります。韓国メーカーは、より高い技術を獲得するために、日本の技術者を競わせます。韓国メーカーに使い捨てされることを恐れた技術者たちは、より機密性の高い技術を差し出していきました。

実に悲しい話です。バブル崩壊が残した傷痕は、単に「失われた30年」に留まりません。半導体に限らず、将来性ある産業が多く失われているものと考えます。バブルの発生、そしてバブル崩壊後の処理で重ねられた失政のつけはあまりにも重いと思います。また、将来性あるビジネスへの投資継続を判断できなかった経営、そしてそれを支援できなかった行政という側面についても、十分な検証を行い、再び同じ間違いを起こすこと無きよう願いたいものです。(写真出典:ja.wsj.com)

マクア渓谷