2020年12月7日月曜日

蟷螂の斧

もう20年近く前のことですが、カマキリの産卵場所の高さで、その年の積雪量が予測できる、という話を聞きました。もともとは新潟県の中越地方で語り継がれる民間伝承だったようです。長岡市で電気工事会社を経営する酒井輿喜男氏は、40年以上にわたり、その科学的証明に取り組み、その成果を出版しました。また、酒井氏の研究に基づき、さる公的機関が、その年の積雪予測をパンフレットにして配布までしていました。過去の予測と実績を比較したデータも見たことがあります。様々な補正が加えられたデータは、もはや比較とも言いにくく、やや微妙なものでした。

酒井氏の説は、概略、以下のようなものでした。カマキリは木の枝に産卵し、卵は越冬する。雪の上なら鳥の餌になり、雪の下なら生きられない。よってカマキリは、その年の積雪量を予測して、ちょうど雪面の高さギリギリに産卵する。大気圏内の水分量は一定であり、空気中の水分量が多いときには積雪が増える。樹木は、乾湿差に応じて、枝葉への水分の供給量を変える。幹を通る水分の動きは、乾湿の境界線、つまり予測される雪面付近で最も多くなる。カマキリは、水分移動に伴う微弱な振動に応じて、卵を産む場所を判断する。

門外漢の私が思った素朴な疑問は、樹木は、どうして秋のうちに、冬の湿度を予測できるのか、ということです。秋のうちに湿度が高くなる傾向があるのであれば、人間も科学の力で予測できそうなものだと思います。さらに、乾湿の境界線で、水分移動がもっとも活発になるメカニズムも証明されていません。そして、昆虫学の権威である弘前大学の安藤喜一名誉教授が、自ら実験までして、雪に埋まってもカマキリの卵が孵化することを証明します。残念ながら、酒井氏の説の前提が崩れたことになります。

安藤名誉教授の反論が出されると、カマキリによる積雪予測を配布していた公的機関は、予算不足を理由に配布を中止しました。その後、酒井氏は、大災害と昆虫の生態という研究をし、大発見をした、と話していたそうですが、詳細は明らかではありません。ネット上には、酒井氏の説を似非科学とする批判が多く見られました。確かにそうかもしれませんが、そもそもの民間伝承が、科学的に否定されたわけではありません。”非科学的”と言う言葉は、批判的に使われる言葉ですが、科学が証明できていないもの、という理解もできます。

かつて、大学で物理学を専攻した人に、宇宙は膨張しているというが、宇宙の境界線の向こうには何があるのか?と聞いたことがあります。答えは、分かっていない、とのことでした。そもそも物理学は、分からないことだらけで、科学と言っているのは、再現性が証明された極々一部の事柄を指すにすぎない、とのことでした。”分からない”ということを認めたところから科学は生まれた、とも言います。大きなものにも立ち向かうカマキリの習性から、無駄な試みを「蟷螂の斧」と言いますが、科学者の皆さんには、是非、カマキリのようであってほしいと思います。(写真出典:tenki.jp)

マクア渓谷