2020年12月1日火曜日

なぜ山に登るのか

 スポーツの起源は、古すぎてはっきりしないわけですが、おそらく狩猟や戦いで必要とされる能力や技を、遊びとして競い合うことから始まったのだろうと想像できます。重要なポイントは、必要性や生産性がないことだと思います。日ごろの鍛錬という概念や古代オリンピアードのような神事という概念も後付けであり、単純に遊びや気晴らしだったのでしょう。暇がなければできないことであり、競い合うということがなければ成立しないとも言えます。

スポーツを、そのように考えた時、実に不思議な存在が登山だと思います。生産性はありませんが、競い合うという要素が薄いと思われます。もちろん、より高く、より早く、という競争がないわけではありませんが、一部に限っての話です。あるいは未踏峰の初制覇も競争と言えば競争と言えます。エヴェレスト初登頂は1953年のヒラリー卿とされますが、遭難したので確認できないものの1924年のジョージ・マロリーではないかとも言われます。なぜエヴェレストを目指すのか、と聞かれたマロリーが「そこに山があるから(Because it's there)」と答えた話は有名です。

名言とされますが、なにが名言なのかよく分からないところがあります。答えに窮した発言のようにも思えます。エヴェレスト登山は、ある意味、極地探検とも言えますが、科学的要素はほとんどないと思われます。ただ単に、世界一高い未踏峰ゆえ登りたい、ということだったのでしょう。ひょっとすると、それが登山の本質を語っているのかも知れません。先史時代から、狩猟のため、旅の経路として、あるいは宗教的意味合いなど、必要性のある登山は行われていたと思われます。山に登ることだけを目的とした登山は、いつ頃から始まったのでしょうか。

「登山の父」と呼ばれる人がいます。14世紀イタリアの詩人ペトラルカです。ペトラルカは、南仏プロヴァンスにある2,000m級のモン・ヴァントゥに登り、その次第を友人に手紙で伝えます。これが近代的な意味での登山の始まりだとされるようです。ヴァントゥは、ツール・ド・フランスの難所として有名です。現代の登山に通じる文献の初出がペトラルカだということは理解できますが、これが登山のための登山の始まりだと言われても、どうも釈然としません。そもそも人は高い所へ上りたがるものではないでしょうか。それが、文明の誕生、つまり農耕とともに余剰が生まれた頃から、可能になったのではないかと思えます。

近代化とともに、スポーツは運動と競技に二極化したように思えます。運動には、挑戦と達成という要素はありますが、競い合うものではありません。登山は、運動に分類すべきでしょうが、健康な心身を保つためだけに行われるものでもありません。結果的にはスポーツとしての側面もありますが、人間が登山をする理由は、なにか本能的なものなのではないか、という気がしてなりません。(モン・ヴァントゥ 写真出典:ja.wikipedia.org)

マクア渓谷