大阪へ行く機会があると、今でもワクワクします。東日本の人間にとっては、全く異なる文化圏なので、海外旅行に近いものがあります。ことに食文化は興味がつきないものがあり、毎回、何を食べようかと悩みます。近年、時間的余裕がない時でもかかせないと思っているのは、道頓堀今井のうどん、はなくじらのおでん、たこ八かはなだこのたこ焼き等。要は、大阪の出汁文化が手軽に味わえるものということなのでしょう。一方、お好み焼きは、あまり食べません。嫌いなわけでもなく、まずいと思っているわけでもないのですが、その魅力がいまいち分かりません。とは言え、難波は味乃屋の焼きそばは天下一品だと思っています。
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吉本新喜劇 辻本茂雄座長公演 |
藤山寛美に代表される松竹新喜劇は、 笑いとぺーソスの軽演劇ですが、 吉本新喜劇は、演劇というよりは少し長めコントといったところ。 決まりきった筋書と設定に、 いつもの芸人のいつものギャグで構成されます。 マンネリの極みですが、 これは大阪の人々が好む笑いのあり方に関わっていると思います。それは、 東西の落語の違いにも感じられます。 東京の聞かせる落ち話に対し、同じ演目でも、大阪はちょいちょい笑いを入れてきます。要するに、大阪の人の好む笑いは、より日常的であり、より瞬間的であり、より反射的であるように思えます。
まずは、武家文化の身分格差前提の江戸社会、ほぼ商人だけで構成される同質的な大阪社会という違いがあります。格式ぶった江戸と、それを嫌う大阪ということでしょうか。商売の会話は、 ややもすればギスギスしがちなものです。 大阪の商人たちは、会話に笑いを織り込むことで、 コミュニケーションの潤滑油としたのではないでしょうか。それが、笑いの日常化、反射的笑いの伝統を生んだものと考えます。同質的社会だからこそできたことだと言えます。江戸で同じことをやれば、失敬な、ふざけてやがる、となりそうです。
なんばグランド花月で感じる文化の違いがもう一つあります。舞台と客席の一体感です。客席からも声が飛び、演者も客をいじります。いかにつまらないパフォーマンスでも、東京なら、とりあえず拍手はすると思いますが、NGKでは野次の嵐となります。四半世紀前、似たような光景を上海で見ました。上海雑技団です。最初からかなり高度な技を繰り出してきますが、誰一人拍手しません。オリジナリティある極めて危険な技で初めて拍手が起こります。一流の芸人を育てるのは、師匠ではなく、厳しい観客だと思います。(写真出典:news.yoshimoto.co.jp)