アゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ自治州を巡り、アゼルバイジャンとアルメニアは長く争ってきました。両国は帝政ロシアの崩壊とともに独立しますが、赤軍に敗れ、ソビエト連邦に組み込まれます。その際、アルメニア人が多く住むナゴルノ・カラバフ(山地の黒い庭)は、アゼルバイジャンの自治州とされます。アルメニアは、これに強く抗議、以来100年間、数次に渡る武力衝突も含め、紛争が続きます。同州は、1991 年「アルツァフ共和国」として独立宣言しますが、これは国際的承認がないままです。
この9月に再燃した紛争は、10月10日、ロシアの仲介で停戦したものの戦闘は続き、ロシアのプーチン大統領とトルコのエルドアン大統領が電話会談して、18日に再度停戦となりました。積年の恨みを持つアルメニア国民は武力対立を支持し、原油価格の低下で苦境に立つアゼルバイジャン政府も国民の不満を抑えるために強気の姿勢を崩せません。この紛争解決のため20年前に設置されたロシア・アメリカ・フランスによるヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)ミンスク・グループは、まったく機能していません。
ミンスク・グループが機能していないのは、米国は大統領選挙、フランスはコロナ対応に忙殺され、ロシアではプーチンの影響力が低下しているためと思われます。プーチン大統領は、野党指導者ナワリヌイ氏の毒殺未遂、ベラルーシの独裁者ルカシェンコ大統領の問題等でも苦境に立たされています。替わって影響力を強めているのがトルコです。トルコは、同じイスラム教国アゼルバイジャンと近い関係にあり、かつアルメニアとは古くからの深い因縁があります。
アルメニアは、最も古いキリスト教国であり、世界最古の都市の一つである首都エレバンは、エデンの園があった場所としても知られます。ただ、大国に周囲を囲まれた要所であるため、常に大国の干渉を受けてきました。オスマン・トルコの支配下にあった19世紀末にはアルメニア人虐殺が起こります。100~150万人が犠牲になったとされ、多くのアルメニア人が国を離れました。欧米の主要都市に必ずあるアルメニア人街の起源です。国連は、ジェノサイド認定していますが、トルコ政府は一切認めていません。また、ノアの箱舟で有名なアララト山はアルメニアの象徴とされますが、現在はトルコ領に編入されたままであり、アルメニアはこれを認めていません。ロシアとトルコも長い対立の歴史をもち、近年はシリアやリビアでも対立してきました。ただ、この2年ほど、トルコはロシアのミサイルを購入するなど緊密な関係にあります。とは言え、大国トルコを目指すエルドアン大統領は、一筋縄ではいかない政治家。プーチンの影響力が低下しつつある今、この紛争を利用しないはずはありません。100年の紛争の趨勢を握るのは、トルコだと思います。トルコを含めた国際協議の場を早く設置すべきだと思われます。(エレバンから望むアララト山 写真出典:ja.wikipedia.org)