「浅茅が宿」は、下総国の男が、妻に半年で帰ると約束して、京へ商売に出かけるが、様々な事情で帰郷は7年後になる。変わり果てた妻と涙の再会を果たすが、夜が明けると、自宅は廃墟、妻はとうの昔に死んだことが分かり、ねんごろに弔う、という話です。男の家は、市川市に復元現存する「継橋」の近くであり、真間の手児奈伝説も登場することから、今の市川市真間にあったと思われます。夫婦を翻弄した戦さは、関東管領上杉家と古河公方・北条方の数次に渡る争いであり、関東一円が戦場となりました。
「蛇性の婬」は、紀伊国の男が、美女と知り合い、彼女の立派な屋敷で求婚され、承諾する。その後、女は大蛇の化身であることが判明したが、男は付きまとわれる。最終的には、道成寺の僧が大蛇を成敗する、という内容です。白蛇の化身が男と結婚するが、僧の法力で退治されるという中国の「白蛇伝」、そして恋焦がれた僧に裏切られた娘が蛇に化身し、鐘ごと僧を焼き殺す「道成寺」が下敷きなのでしょう。
映画「雨月物語」は、琵琶湖北岸の男が、妻を残し、西岸の大溝へ陶器を売りに出る。そこで男は美しい武家の姫と知り合い、女の立派な屋敷で求婚され、楽しく過ごす。実は、屋敷は廃墟で、娘はこの世のものではないことがわかり、僧によって助けられる。帰郷して妻と再会するが、翌朝、家は廃墟で、妻は野武士に殺されていたことが分かる、と翻案されています。
「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の主人公には共通点があります。家業を疎かにするということです。「浅茅が宿」では、農業を嫌がり、財産を食いつぶし、一発勝負に出ます。「蛇性の婬」では、都に憧れ、働きもせず、稽古事の帰り道で女に会います。怠惰のバチが当たったわけですが、二人とも、ある意味、仏教に救われ、その後の人生を生きます。彼らの前に現れた異界のものは、彼らの業が投影されたものですが、それが投影されるということは、彼らに仏性が存在してるからだとも言えます。人間の強欲や異界の怨念を語りながら、実は、人間が本来持っている仏性による救いを伝える物語でもあるのでしょう。(写真出典:realsound.jp)