苟日新、日日新、又日新(まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり)
中国の四書五経のうち「大学」が原典とされる言葉です。殷の湯王が、顔を洗う水盤に銘していた言葉とされます。今日の行いは昨日より新しく良くなり、明日の行いは今日よりも新しく良くなるよう心掛ける、といった意味です。石川播磨重工社長、東芝社長・会長、経団連会長、そして第二次臨時行政調査会会長を務めた土光敏夫が愛した言葉です。土光さんは、この言葉を「今日一日に全力を傾け、有意義な日を過ごす」と解釈していたようです。土光敏夫は、IHIの再建、東芝の再建、臨調で振るった辣腕と、数々の実績を残した昭和の大経営者。明治生まれらしく、謹厳実直、清廉潔白を絵に描いたような仕事ぶりと私生活でした。入社間もないころ、「これを読め」と会社の上司から渡された本が、土光敏夫著「経営の行動指針」(1970)でした。東芝の社長時代、社内報に載せた短文を集めたものです。一頁一言の名言集になっており、読みやすかったこともあり、繰り返し手にとりました。日本の高度成長を支えた企業戦士の心情と行動を、最も純粋な姿で伝えます。会社の先輩たちは、行動は伴わずとも、気持ちのうえでは、皆、土光さんを目指していたように思えます。
売上と市場シェア拡大に向けて一直線に走ってきた世代の迫力はすごいものがありました。いわゆるモーレツ社員です。高度成長期を戦ってきた先輩たちの薫陶を受けながらも、オイル・ショック世代の我々は、多少の違和感を感じていました。高度成長は終り、オイル・ショックを経験し、経営は利益と顧客シェア拡大へと移行しつつありました。環境が変化したとは言え、先輩たちの成功体験に、我々の脆弱な理屈などかなうわけもなく、徒労感がつのる日々が続きました。
土光さんの言葉は、根性論・精神論も多く、企業戦士のバイブルのようでもあります。ところが、過激な言葉の裏には、時代を超えたビジネスの合理性があります。プラグマティズムこそ、土光さんの真骨頂のように思えます。いかに厳しくとも、抗し難い真実の言葉ゆえ、人は土光さんについていったのでしょう。さらに言えば、通勤はバスと電車、接待を受けず、質素な家で粗末な食事をとる、その清廉な私生活ゆえ、厳しい言葉も人に通じたのでしょう。NHKで放送された土光家の夕餉はメザシと菜っ葉。以降、「メザシの土光さん」とも呼ばれました。
私の好きな土光さんの言葉に「仕事の報酬は仕事である」というのがあります。藤原銀次郎の言葉だと、土光さんは言っています。人は、給料ではなく、働き甲斐で満足感を得る、という意味です。いい仕事をすれば、もっと面白い仕事がもらえる、とも言えます。人は、その循環のなかで育ちます。究極の人材育成論だと思っています。(写真出典:kakunist.jimdo.com)