2020年10月11日日曜日

ノイシュヴァンシュタイン城

桃の産地である山梨の人たちは、桃を固いまま食べると聞き、驚きました。桃は、極限まで熟成させ、濃厚な甘さとトロッとした触感を楽しむものだと思っています。ただ、タイミングを逃すと、桃は、自らの甘さに耐えかねたように急速に腐敗します。バイエルン州南部にあるノイシュヴァンシュタイン城を思うと、いつも腐敗し始めた桃をイメージしてしまいます。

ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとも言われるノイシュヴァンシュタイン城は、中世の城ではありません。19世紀、バヴァリアの狂王と呼ばれたバイエルン王ルードヴィッヒⅡ世が、夢を実現するために建てました。防御も政務も居住性すら考慮されていない城は、石造りではなく鉄筋コンクリート製。中に入ると、安っぽい映画のセットのような印象を受けます。城と言うよりは、城を模したモニュメントと言うべきなのでしょう。あくまでも遠景を楽しむべき建造物だと思います。

実は、ノイシュヴァンシュタイン城は完成していません。1869年に着工した城は、1886年に工事が中断したままになっています。施主であるルードヴィッヒⅡ世が死んだからです。ルードヴィッヒⅡ世は、1845年に生まれます。欧州は、フランス革命後のナポレオン戦争やウィーン体制、産業革命に伴う帝国主義化等、激動の時代にありました。両親の愛情に恵まれず、厳格な教育を施されたルードヴィッヒは、反動として神話や中世の騎士道を夢想する少年として育ちます。

19歳でバイエルン王に即位すると、政務は顧みず、夢を具現化する城の建設、憧れのワーグナーの庇護に熱中し、莫大な資金を投入します。普墺戦争が勃発すると、バイエルンはオーストリア側につき敗北します。その間、ルードヴィッヒは居城に隠れ続け、国民の信頼を失います。王の乱費で財政難だったバイエルンにとって賠償金は重荷でした。1886年、政府は、精神病を理由に王を退位させ、幽閉します。直後、ルードヴィッヒは湖で謎の死を遂げます。男色家の王が、唯一、心を寄せた女性は、姉と慕うオーストリア皇后エリザーベトだったと言います。王の死の知らせを聞いたエリザーベトは「彼は精神病ではない。夢を見ていただけだ」と語ったとされます。

衰弱したロマン主義には、甘ったるい腐敗臭がします。バヴァリアの狂王の生涯は、ドイツ・ロマン主義には遅すぎ、デカダンスの時代には早すぎました。「デカダンス、それは我々の血だ」と言った東欧の映画監督がいました。映画「ルードヴィッヒ」は、退廃とは何かを知っているミラノ貴族ルキノ・ヴィスコンティにしか描けなかったのでしょう。欧州とは何か、と考えるとき、ルードヴィッヒⅡ世を外すことはできないように思います。彼が何を成したかではなく、彼の心が欧州そのものだったように思えるからです。(写真出典:pinterest.jp)

マクア渓谷