実は、ノイシュヴァンシュタイン城は完成していません。1869年に着工した城は、1886年に工事が中断したままになっています。施主であるルードヴィッヒⅡ世が死んだからです。ルードヴィッヒⅡ世は、1845年に生まれます。欧州は、フランス革命後のナポレオン戦争やウィーン体制、産業革命に伴う帝国主義化等、激動の時代にありました。両親の愛情に恵まれず、厳格な教育を施されたルードヴィッヒは、反動として神話や中世の騎士道を夢想する少年として育ちます。
19歳でバイエルン王に即位すると、政務は顧みず、夢を具現化する城の建設、憧れのワーグナーの庇護に熱中し、莫大な資金を投入します。普墺戦争が勃発すると、バイエルンはオーストリア側につき敗北します。その間、ルードヴィッヒは居城に隠れ続け、国民の信頼を失います。王の乱費で財政難だったバイエルンにとって賠償金は重荷でした。1886年、政府は、精神病を理由に王を退位させ、幽閉します。直後、ルードヴィッヒは湖で謎の死を遂げます。男色家の王が、唯一、心を寄せた女性は、姉と慕うオーストリア皇后エリザーベトだったと言います。王の死の知らせを聞いたエリザーベトは「彼は精神病ではない。夢を見ていただけだ」と語ったとされます。
衰弱したロマン主義には、甘ったるい腐敗臭がします。バヴァリアの狂王の生涯は、ドイツ・ロマン主義には遅すぎ、デカダンスの時代には早すぎました。「デカダンス、それは我々の血だ」と言った東欧の映画監督がいました。映画「ルードヴィッヒ」は、退廃とは何かを知っているミラノ貴族ルキノ・ヴィスコンティにしか描けなかったのでしょう。欧州とは何か、と考えるとき、ルードヴィッヒⅡ世を外すことはできないように思います。彼が何を成したかではなく、彼の心が欧州そのものだったように思えるからです。(写真出典:pinterest.jp)