「ローズマリーの赤ちゃん」やウッディ・アレン映画で知られる不思議女優ミア・ファーローは、子供の頃、ポルト・リガートのビーチで、不思議芸術家のサルバトール・ダリから、気分転換の方法を伝授されます。それは靴を左右逆に履くということだったそうです。気分が変わるかどうかは別として、確かにその違和感は別な世界を感じさせます。ダリらしいエピソードだと思います。
スペインのフランス国境に近い街フィゲラスは、サルバトール・ダリの生誕の地であり、終焉の地です。フィゲラスには、ダリ・シアター・アンド・ミュージアムがあります。建物、絵画、オブジェ等すべてが面白く、実に魅力的な美術館です。最も重要な展示品は、1945年作「パン籠~恥辱よりも死を」だと思います。テーブルの端にある食べかけのパンが入った籠が描かれた小品です。歪んでもいませんし、引き出しもついていません。実に写実的な作品です。その超絶技巧は、ダリが最も尊敬するフェルメールを思わせるものがあります。ダリは、シュールリアリズムの作家です。 ただ、 抽象画ではなく、 具象をもってシュールな世界を提示します。 その世界が成り立つためには、 写実はより精緻である必要があります。 「パン籠」は、 精緻な描写、そしてテーブルの端という象徴性ゆえ、ダリのエッセンスがストレートに表出している作品だと思います。ダリにとって、パンは特別なものだったようで「 パンは私の作品の中で最も古くからフェティシズムと執念の対象の一つであり続け、私が最も誠実であり続けた最初の、そして唯一の主題だ」と語っています。
この作品が描かれたのはナチス崩壊直前だったようです。端しか残っていないパンはヒトラーを表していると言われます。さしずめ籠はナチズムなのでしょう。黒い背景、テーブルの端が、ヒトラーとナチズムの終わりを暗示しているのでしょう。また、ダリは、この作品は広島と長崎へ原爆が投下された週に描いた、とも語っているようです。「恥辱よりも死を」という副題が原爆投下の正当性を表す、とも解釈されています。原爆に関しては、全くの後付けの話であり、当時アメリカに在住していたダリのリップ・サービスであり、原爆の正当性云々は、米国人の都合の良い解釈だと思われます。
シュールリアリズムのねらいの一つは、シュールな世界を見せることで、現実を見る新しい目線を与える、あるいは日常を見つめ直させることだと思います。その意味で、ダリの具象をもってシュールな世界を描くという手法は現実的であり、子供にでも分かる一般性を持っています。ちなみに、子供の頃、家にあったダリの画集で見た「記憶の固執(柔らかな時計)」や「目覚めの直前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢」は強烈な印象を残し、高熱を出した時に限って夢に出てきました。それは30歳代になるまで続きました。(写真出典:musey.net)