アルバム名:Guerreira (2009) アーティスト名:クララ・ヌネス
クララ・ヌネスは、70年代のブラジルで圧倒的な人気を誇ったサンバやMPB(ブラジルのポップス)の歌手。発音的には、ヌネスではなく「ノーニス」とすべきかも知れません。73年の「Tristeza Pe no Chao」は、ブラジルでは女性初の10万枚超え、翌年のアルバム「Alvorecer」は女性初の30万枚超えのヒットを記録し、名実ともにサンバの女王となりました。透明感がありながら力強い声、抜群の歌唱力、まさに唯一無二のアーティストだと思います。このアルバムは、彼女のヒット曲28曲を収めたベリー・ベスト盤です。クララ・ヌネスは、1942年、リオの北西部に広がるミナス・ジェライス州の小さな町に生まれます。幼くして父母に先立たれ、年長の兄弟たちに育てられます。教会で歌いはじめ、コンテストでも賞を獲得するなど、早くから歌の才能は認められていたようです。14歳で織工として働き始め、16歳の時、兄が彼女のボーイフレンドを殺したことを契機に、州都ベロ・オリゾンチへ越し、働きながら、音楽活動を開始しています。
ベロ・オリゾンチのラジオやTVで活躍後、リオに進出して、66年にはファースト・アルバムをリリースしています。70年代には、ヒットを連発し、アルシオーネ、ベッチ・カリヴァリョと並ぶサンバの三大女王の一人として活躍します。その生い立ち、長い下積み等が、彼女の才能に磨きをかけたのでしょう。サンバ、MPBと幅広くこなしますが、サンバに現代的解釈を加えたことが、大きな功績だと思います。ただ、その音楽的ルーツは、アフリカ系ブラジル人の伝統にあり、そのことに一切のブレはなかったと思います。ステージ衣装も、常に白いドレスを着る等、伝統を踏まえています。ちなみに、82年には来日し、若き松坂慶子が司会するNHKの「夜の指定席 魅惑のファンタジー」に出演しています。
1983年、人気絶頂にあったクララ・ヌネスは、静脈瘤の切除手術を受けます。簡単な手術だったはずですが、麻酔医のミスによって昏睡状態に陥り、帰らぬ人となりました。享年38歳、女王の若すぎる死でした。リオの大通りを進む彼女の葬列は、カーニバル以上とも言われる多くの人々に見送られます。ブラジルは、長く続いた軍政のつけで経済的苦境にあり、民政移行の直前にありました。(写真出典:diskunion.net)