2020年9月9日水曜日

書を捨てよ

客席のない劇場に立つ観客の間を、扇動者が「バスティーユへ!」と叫びながら走り去り、大八車が全力疾走で駆け抜ける。観客のある者は逃げまどい、ある者は先導者の後を追う。フランスの劇団テアトル・ド・ソレイユの70年代のヒット作「1789」です。ライブで行われる芸術や芸能の魅力の一つが臨場感だとすれば、観客をフランス革命、バステューユ牢獄襲撃に巻き込む「1789」は究極の演劇かもしれません。

同じ頃、日本でも演劇の創造的破壊者が大暴れしていました。寺山修司とその劇団「天井桟敷」です。寺山は、青森県三沢市の生まれ。複雑な家庭環境で育ち、中学・高校は青森市で卒業、早稲田大に入学します。中学の頃から俳句の才能が認められ、高校では全国学生俳句会議を主催するなど早熟ぶりを発揮します。大学では短歌にのめり込み、病気で学校は中退するものの、1957年、22歳で歌集を出します。

マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 我が身を捨つる 祖国はありや
大工町 寺町米町 仏町 老婆買う町 あらずやつばめよ

暗く荒涼とした情念の光景、そして巧みな言葉使いが寺山の特徴だと思います、言葉を操る才能は、小説、演劇、映画、評論、作詞等へと、活躍の場を広げます。安保から学生運動へ向かう時代の空気も相まって、若者たちのカリスマとなっていきます。ただ、暗く深い彼の原風景は変わることなく、表現の世界は短歌から演劇へと集中していきます。60年代後半、天井桟敷は、国際的な活動を開始し、横尾忠則、宇野亜喜良、JAシーザー、頭脳警察、カルメン・マキといった才能を世に送り出します。

日常を非日常的に客体化し、そこに真実や自由を見せてくれるのがポップ・アートだと思います。寺山の演劇は、目の前で日常を切り刻むことで、そこから垣間見える心の闇、誰もが心の奥深く封じ込めている闇を引きずり出します。演劇こそ、寺山の暗い原風景を表現する最高の手法だったのではないかと思います。「書を捨てよ町へ出よう」、「田園に死す」といった国際的評価を得た映画ですら、寺山演劇が持つ情念のパワーは伝えきれていないように思えます。

寺山修司は、青森高校の先輩です。私が高校一年のおり、来校し、講演しました。過激な発言を恐れた学校は、放課後、自由参加という形で講演を実現させました。「いい大学を出て、いい会社に入って、君たちが一年で稼ぐ金など知れたもの。勝新太郎は、映画一本で、その何倍も稼ぐ。君たちの受験勉強などまったく無意味だ」と語ります。校長の話ですら、騒然たる野次でかき消す校風ながら、この時ばかりは水を打ったように静かでした。
写真出典:amazon.com

マクア渓谷