2020年9月8日火曜日

地名と災害

皇居やバチカン宮殿に絨毯を納めるオリエンタル・カーペット社は、山形県山辺町にあります。小高い丘の上に立つ風情ある木造のご本社が歴史を感じさせます。400年前の一時期、平山城の山辺城があった場所とのこと。城跡だけに地盤が固く、木々が大きく育たない。と聞きました。山の辺ゆえ見通しも良かったのでしょうが、地盤調査の技術など無かった時代、よく地盤の良さを見抜いたものだと感心しました。

逆に地盤の弱い土地は、地名で分かるという話を、名古屋大の地震学の権威から聞きました。例えば沼とつく地名は、明らかに沼沢地だったわけです。また、田とつけば、田んぼを埋め立てた土地だと見当がつきます。長らく田んぼだった土地は、いつまでも水が上がってくるとも聞きます。津は港のことです。小型の木造船が主体の時代、多くは砂地の浜だったと想定されます。いずれも、地盤の弱い土地だと言えます。日本で一番地盤の弱そうな地名はどこか分かりますか、と聞かれ、即座に津田沼と答えました。正解でした。

谷とつく地名も、災害に弱そうな気がします。水害や崖崩れのリスクが高かそうです。かつて渋谷の街は、雨が降ると水があふれていました。最近は、地下に巨大な貯水施設が作られ、これがうまく機能しているようです。江戸は、東側は墨田川一帯や墨東の湿原、北や西側は台地のヘリに築かれた町なので、坂も多く、谷も多い街です。浮世絵を見ると、江戸の地形がよく分かります。お気に入りは、北斎が描く九段坂。なかなか厳しい坂であることがよく分かります。広重の江戸百景を見ると、多くは湿原を思わせる光景です。概ね、皇居の東は地盤の悪い土地柄と言えます。

江東区や江戸川区は、海面より低い土地という大問題がありますが、これは昭和になって、町工場が地下水をくみ上げすぎたために起こった現象です。今の江東区東陽町界隈は、かつて洲崎と呼ばれ、潮干狩りの名所だったようです。洲崎という名称が、既に危ない地名です。洲崎の西は木場。川や海から運ばれた木材を貯めるには、その低い土地が好都合だったわけです。江戸期、洲崎は高潮の被害が多く、家を建てることは禁じられていたそうです。江戸幕府の防災意識もなかなかのものだったと思います。

歌川広重名所江戸百景「深川洲崎十万坪」    写真出典:adachi-hanga.com

マクア渓谷