2020年9月4日金曜日

江戸前

松原久子著「驕れる白人と戦うための日本近代史」は痛快な本でした。70年代、ドイツに留学し、著作活動をしていた松原久子は、TVの討論番組に出演し、白人優位の歴史観を振りかざすドイツ人たちと激論を交わします。例えば、日本の近代化は、開国後、西洋からもたらされた知識と技術によって、はじめて実現した、とドイツ人。対して、松原久子は、違う、日本の近代化は、経済、交通、教育等々、江戸期に成熟した社会インフラがあったからだ、と反論します。

あらためて、松原久子の言う通りだな、と思わされたのが「おいしい浮世絵展」です。江戸期の食文化を描いた浮世絵を集めた森アーツ・センターの企画展です。江戸の名物「寿司、蕎麦、天ぷら」と言いますが、当時確立した調理法は、ほぼ現代と変わりません。そして、それらが成立した背景には、多くの技術革新がありました。そもそも浮世絵自体、製紙技術、彩色技術、分業体制、物流等の革新のうえに成り立っています。

江戸前と言えば、東京湾の魚介類全般ですが、そもそもは鰻のことだったそうです。鰻の蒲焼も、今と変わらぬ製法です。実は、蒲焼流行の影にも、多くの革新がありました。まずは醤油です。和歌山県の湯浅発祥と言われる醤油ですが、いわゆる溜り醤油が基本。江戸初期は、関西からの「下り醤油」がほとんどであり、高級品だったようです。ところが、17世紀末頃から、安房、下総、上総あたりで製造法の革新があり、「地廻り醤油」として濃口醤油が安価に江戸に流れ込みます。水運による物流革命の恩恵も大きかったわけです。この濃口醤油が江戸の食文化を飛躍的に進歩させます。

日本酒は、1600年に鴻池善右衛門が大量生産技術を開発し、一気に生産量が増えています。味醂は、江戸初期、甘い酒に焼酎を加えて作る手法が確立し、甘酒のみならず調味料としての利用が広まります。砂糖は高価な輸入品でしたが、徳川吉宗の肝いりもあって、急速に国産化が進みます。さらにうな重まで考えれば、江戸期は、新田開発と生産技術の改良で、米の生産量は一気に拡大しています。

そもそも江戸前の鰻自体ですが、家康が江戸の整備のために江戸湾の干拓を進めた結果、湿地が多く出現し、鰻の漁獲量が増えたようです。鰻の蒲焼には、近世日本が成し遂げた革新が詰まっていたわけです。
写真出典:iwasaki-art.com

マクア渓谷