
1979年の映画「ウォリアーズ」は、オール・ロケの低予算映画ながら、世界中で大ヒットしました。直線的なストーリーやスピード感とスリルもさることながら、NYの底辺で生きる若者たちのリアルさが共感を呼んだのでしょう。荒廃した街で、貧困にあえぐ若者たちは、ギャングの一員になるしか生きる道はありません。そこに麻薬が持ち込まれます。麻薬は、インスタント・マネーと共に銃をもたらし、ギャング同士の抗争が激化します。ヒップホップという新しい文化は、そうしたNYの現実のなかで、サウスブロンクスから生まれました。
70年代、ブロンクス最大のギャングであるゲットー・ブラザースのリーダー、ベンジャミン・メレンデスは、殺し合いにうんざりしていました。ある日、抗争の仲裁に送り出した仲間が殺されます。当然、大抗争事件になること必至。ところが、メレンデスは、いきりたつ仲間たちを抑えるとともに、町中のストリート・ギャングに招集をかけ、和平集会を開きます。この「ホー・アヴェニュー・ピース・トーキング」で、メレンデスは、銃による抗争を止め、お互いのブロック・パーティに参加して、唄と踊りを競い合おう、と提案します。街区毎に開かれる週末のブロック・パーティは交流型へと変わり、若者たちの新しい文化がヒップホップ(弾ける)する場へと変わっていきました。
三大DJの一人で、有力ギャングのリーダーだったアフリカ・バンバータは、ヒップホップの四大要素を、ラップ、DJ、ブレイク・ダンス、グラフティと定義します。ラップやDJは多くのスターを生み、グラフティでは、キース・へリングが画伯となります。80年代、社会の格差を拡大したネオ・リベラリズム政策が、ヒップホップを大きく育てたとも言えます。
写真出典:movies.yahoo.co.jp