2020年8月25日火曜日

レニ

90歳を超えたレニ・リーフェンシュタールのインタビューを中心に構成されたレイ・ミューラー監督の「レニ」(1993)を見ました。エミー賞を受賞するなど高い評価を得たドイツのドキュメンタリー映画です。90年代ですら、ドイツでナチスに関係する映画を作ることはハードルが高かったと聞きます。3時間を超える大作ですが、レニ・リーフェンシュタールの複雑な人生、芸術と政治という複雑な議論からすれば、決して長すぎる映画ではありません。

レニ・リーフェンシュタールは、舞踏家、ノースタントのアルピニスト女優を経て、20代で映画監督になります。時はナチス台頭の時代。ナチス党大会を傍聴した彼女は、他のドイツ人と同様、ヒトラーの演説に興奮し、希望を見出します。彼女とヒトラーとその幹部たちとの親しい交友が始まります。ヒトラーは、彼女に1934年のナチス全国党大会のドキュメンタリー制作を依頼します。ヒトラーとシュペーアが作り上げた壮大な党大会は大成功し、彼女のドキュメンタリー「意思の勝利」も世界中で高い評価を得ます。ファシズムの熱狂を余すところなく伝える見事な映像が、当時のドイツ人に与えた影響の大きさは恐ろしいほどです。

36年、ナチのプロバガンダと言われたベルリン・オリンピックが開催され、彼女は、その記録映画を撮ります。予算無制限で作られた「オリンピア(民族の祭典・美の祭典)」は、歴史的傑作となり、スポーツ映像の原典とも言われます。しかし、記録というよりは、演出の多い映像詩に近く、肉体美や力強さを礼賛する姿勢がファシズム的とも言われます。

戦争が終わると、彼女は激しくバッシングされます。責任を問う訴訟も多く提訴されますが、党員でなかった彼女は多くに勝訴しています。しかし、それで批判が止むわけもなく、彼女は完全に抹殺されます。ある意味、ドイツは彼女をスケープゴートにしたと言えます。それはそれで恐ろしい話です。彼女は、ナチスを利用し、利用されたのだと思います。映画は芸術であり、政治とは無縁だったと彼女は言いますが、映画は、その存在そのものが政治的なものです。映画監督の政治責任は逃がれようがありません。

1973年、彼女は、10年間撮り続けたスーダンのヌバ族の写真集を出版、世界中で高い評価を得ました。抑えがたい才能の奇跡の復活であり、不屈の精神の賜物でもあります。しかし、それでも世界は、彼女を許しませんでした。その後、80歳を超えてからダイビング・ライセンスを取り、100歳で「ワンダー・アンダー・ワールド」を制作。これが遺作となりました。アルプスの頂で花開いた類稀なる才能と不屈の精神は、海の底で終わりを告げた、ということでしょうか。
写真出典:eiga.com

マクア渓谷