ハンガリーのタル・ベーラ監督の「ニーチェの馬」(2011)は、アカデミー外国語映画賞を受賞するなど高い評価を得たモノクロ映画。ニーチェは、1889年、トリノの広場で、鞭打たれ疲れ果てた馬に抱きつき、涙を流しながら倒れます。精神崩壊したニーチェは、そのまま10年後に亡くなりました。この話にインスパイアされたという映画は、暴風が吹く平原の貧しい農家で、老農夫とその娘、死にかけた老馬がおくる数日間を描きます。セリフも少なく、毎日、同じ生活が淡々と繰り返されます。タル・ベーラ監督から、これが人生だろうよ、と言われ、何も反論できない自分がいました。ちなみに食事も毎日同じ。一日一個の茹でたじゃがいもに二杯の自家製バーリンカ(果樹酒)のみ。この食事が、映画を象徴していました。
じゃがいもは、南米チチカカ湖原産と言われ、スペインが欧州に持ち込みます。寒冷地や荒れた土地でも育ち、栄養価も高いことから、欧州全域に広がり、特に欧州北部では主食になりました。四大作物と言われる小麦、米、じゃがいも、とうもろこしの中では、最も強く、手間のかからない作物だと思います。日本には1598年伝来とされています。ジャガタラ、今のジャカルタ経由でオランダ人が持ち込んだそうです。ジャガタラ芋、変じてじゃがいもというわけです。
人間が農耕を始める前、飢饉というものは存在しなかった、と言われます。食生活が特定の作物に依存していなかったのですから、当然です。19世紀中葉、欧州北部で疫病がじゃがいもを襲い、数年間にわたり全滅状態が続きました。特に主食化率の高かったアイルランドでは大飢饉となり、100万人以上が餓死、200万人が緑の島を捨てアメリカに移民します。遅れてきた移民に残された農地はなく、多くは東部の都市の最下層に組み込まれます。例えば、NYの警官や消防士は伝統的にアイリッシュが多く、今でも殉職者は人種に関わらずバグパイプで送られます。

「アイルランド人は百敗の民である」と言い切ったのは司馬遼太郎。ひどい言いようですが、欧州中部から追われに追われて、最西端のアイルランドまで辿りついたケルト人の歴史は、確かに負け続けでした。さらにじゃがいも飢饉で海を西へと渡ったわけです。ただ、アメリカでは負けっぱなしというわけでもありません。アイルランド系大統領だけ見ても、ケネディ、レーガン、クリントンと続き、オバマの母方もアイリッシュです。今、また一人アイリッシュの大統領が誕生しようとしています。ジョー・バイデンです。
ジョー・バイデン 写真出典:biography.com