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出典:amazon.com |
私は、エリック・ドルフィーは、決して前衛ジャズのミュージシャンだとは思っていません。ユニークな表現をするテクニック抜群の人ではあっても、あくまでもメイン・ストリーマーであり、前衛ジャズが開いた自由な表現を取り込みつつ、モダン・ジャズのテンションを極限まで高めようとした人だと思います。音楽に対して、これほどまでに誠実に向き合った人も珍しいと思います。その姿勢が最も似ているのはジョン・コルトレーン、表現的に最も近いミュージシャンがいるとすればセロニアス・モンクだと思います。
ドルフィーは、1928年、LA生まれ。6歳からクラリネットを始め、クラシック奏者を目指します。数々の賞や奨学金を受けるほど才能豊かな少年だったようです。高校、大学時代からジャズにも親しみ、陸軍退役後、ミュージシャンとして活動を始めます。チコ・ハミルトン・バンドで名をあげ、NYへ移った後は、幼少期からの知人チャーリー・ミンガスのバンド、23歳で夭折したブッカー・リトルとの双頭クインテット等で活躍。この頃まではハード・バップ系とも言えます。共に研鑽してきた盟友ジョン・コルトレーンのバンドに加入したあたりから、解き放たれたかのように自由な表現が顕在化し、このアルバムにたどり着きます。
このアルバムを傑作たらしめているのは、18歳の天才ドラマー、トニー・ウィリアムスの参加です。17歳で、マイルス・デイビス・バンドに招集されたトニーは、リズムの魔術師です。縦横無尽にリズムを刻むだけでなく、 ドルフィーの自在なアドリブをジャズ・コンボの音楽として成立させています。 二人だけでやらせてみたかったですね。緊張感あふれるボクシングの試合のような音楽が聴けたはずです。
このレコーディング後、 ミンガスと欧州ツアーに出たドルフィーは、 ベルリンで糖尿病による昏睡状態に陥り、36歳の生涯を閉じます。 死の直前、 オランダでライブ録音されたのが「Last Date」。 ラスト・トラックの「ミス・アン」が終わると、 ドルフィーが肉声で語り始めます。ジャズの本質を伝え、かつ禅の時空観にも通じる、歴史的名言となりました。
When you hear music. After it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.