
復旧に向けた作業は、被爆当日から、社員と軍の電信隊が共同し、徹夜で取り組んだと言います。思えば、作業に当たった人々も被爆していたわけです。乗務員の確保も難しく、徴兵された社員の穴を埋めるべく広電が設立した女学校の学生が乗務したそうです。運賃も徴収しませんでした。被爆した車両の一部は、メンテナンスを重ね、今も現役で市内を走っています。
ある被爆者のインタビューが印象的でした。その方は、当時13歳。兵器工場に動員されており、被爆直後から児童の救援にあたります。一人の少年が「お兄さん、仇をとってください」と言って死んでいったそうです。自分は、被爆経験を語り伝えることで、今も仇を取り続けている、と語っていました。語り伝えること、そして世界中の人々に広島を訪れてもらうことが、平和への道程なのだと思います。
広島を訪問した際、「君たちはアメリカに腹が立たないのか」と語ったチェ・ゲバラが妻に送ったハガキが保存されています。そこには「平和のために戦うには、ここを訪れるべきだ」と書いてあります。映画監督のオリバー・ストーンは、広島に来るまで原爆投下の正当性を疑ったことはなかった、多くのアメリカ人はヒロシマの歴史を知らない、若者たちはもっと学ぶべきだ、と語ります。
戦争における市民の犠牲はやむを得ない面があります。ただ、市民を標的にすることは交戦法規違反であり、いかに総力戦下とは言え、市民の虐殺は人道に対する罪そのものです。原爆投下が多くの命を救った、という論理は、一面の事実であるにせよ、正当化されるべきものではありません。2人を救うためなら、1人殺しても良い、などと言えますか?
写真出典:hiroshimapeacemedia.com