「十九の春」の元歌は、明治末期に流行した「ラッパ節」だと言われます。兵士や労働者の目線で社会を風刺した俗謡。明治初期の軍歌「抜刀隊」の一節とも言われます。昭和初期、添田唖蝉坊がヒットさせましたが、もともと日本各地に様々な歌詞があったようです。明治末期、飢饉に見舞われた与論島の人々は、九州へ集団移住。石炭の積み出しに従事しますが、奴隷的労働、差別的取扱といった地獄を見ます。唯一の楽しみがラッパ節であり、それを元に「与論小唄」が誕生します。

恋の掛け合い歌を悲恋の唄に仕立てたことから、「十九の春」は沖縄の歴史を自虐的に歌っている、という説が出てきます。女性が琉球、男性が日本、という見立て。「十九の春」とは琉球が日本に組み込まれたこと、「今さら離縁」とは進駐軍による占領、占領は如何ともしがたいと日本が言えば、復帰させる気がないなら早く言えと琉球。同じ国なのに会えないのはつらいと日本。「奥山育ちのウグイス」とは、世間知らず、あるいは自ら何もできない琉球のことだというわけです。
本竹裕助のオリジナル「十九の春」 出典:youtube.com