2020年7月14日火曜日

大将たる者

大山巌元帥陸軍大将
日露戦争初期、1904年10月、遼陽会戦で敗れ、奉天まで撤退していたロシア軍は、クロパトキン大将率いる22万の大兵力をもって南下、沙河付近で反転攻勢をかけます。薩摩藩出身の大山巌大将率いる帝国陸軍は12万と劣勢ながら、これをよく守り、退けます。この沙河会戦の最中、ロシアの大軍に押されて殺気立つ参謀本部に、昼寝から起きた大山巌大将が顔を出し、「ドンパチ、ドンパチと、今日もどこかで戦(ゆっさ)でごわすか?」と言ったそうです。浮足立っていた参謀たちは、その一言で冷静さを取り戻し、効果的な反撃作戦を展開できたと伝えられます。

大山巌大将は、西郷隆盛の従兄弟。若いころは砲術の俊英として名をあげ、後には意識的に大物の風情を醸し出していたそうです。沙河会戦時の話には、さすが大物、これぞ日本の大将、と言いたくなりますが、実は真っ赤なウソ。後の創作どころか、捏造でした。記録に基づけば、大山巌大将は、本部に詰め、情報収集、戦況分析、作戦立案のうえ、全軍に指示を出し続けていました。前線に立つ司令官として、当然の姿です。大物話を捏造したのは、陸軍の中核を担う若手参謀たちでした。

海外で研鑽を積んだ彼らにとって、サムライの生き残りである大将たちは目障りな存在でした。そこで、大将たる者、豪放磊落、太い肝を持ち、委細部下に任せるもの、という神話を作り、流布します。この作戦は、恐ろしいほど成功します。昭和期に頻発する参謀たちによる独断専行の下地が作られたわけです。また、大物論は、日本人のリーダー像に、今も影響を残しています。

日本におけるリーダーシップ論は、ややもすれば資質論として語られます。古代中国の皇帝や日本の武将たちを引き合いにだした話は魅力的です。私も大好きです。実に面白いのですが、まったく実践的ではありません。経営学を確立したピーター・ドラッカーは「リーダーシップとは資質ではなく、仕事そのものだ。」と言い切っています。リーダーには成すべきことがあり、それを確実に実行せよ、という機能論です。まったくそのとおりだと思います。ただ、大物話とは異なりますが、リーダーの品格という問題は存在するように思います。品格の源泉は、信念だと考えておりますが。
写真出典:jpreki.com

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