2020年6月10日水曜日

女中

父親たちの会話の中に「女中顔」という言葉があり、子供心にどんな顔だろうと思ったことを覚えています。おそらく庶民的な顔立ちという意味なのでしょう。大宅壮一の造語とも言われますが、いまや完全な死語ですし、そもそも「女中」という言葉は、放送禁止用語だとも聞きました。おそらく差別的だということなのでしょうが、なにか腑に落ちないところもあります。

「女中」は家事労働の担い手であり、単なる職名とも思いますが、封建的社会では、他の主従関係同様、身分の上下が明確です。明治期以降も、住み込みという形態が、身分的色彩を帯び、差別的だと理解されているのかも知れません。また、住み込み女中という職業は、貧富の差を前提に成り立っていた面もあります。数年前、ヴェトナムでお願いした通訳の女性は、共稼ぎ、子供が3人なので、メイドなしには生活は成り立たないと言っていました。費用は、山間部の若い女性なら住み込みで月1万円程度とのこと。都市部と山間部の農村では、大きな経済格差があります。経済格差も差別的ということなのでしょうか。放送禁止用語は、民放の自主規制なので、定義もあいまい。視聴者の反応次第という面もあるようです。

女中とは言え、明らかに身分的関係とは異なる仕組みが「行儀見習い」です。江戸から大正期あたりまで、そこそこ豊かな家の娘たちは、花嫁修業として、より大きな家に「行儀見習い」として出されます。いわゆる上女中として、見習い先の家族の身の回りをサポートしながら、行儀作法を学びました。その際の家中での扱いは、奉公人の女中とは異なっていたようです。

私の母方の祖母は室蘭の人で、オランダ人の家に行儀見習いに行ったそうです。オランダ人の行儀を見習うことに意味があるとは思えません。単なる就職ではないか、という気もします。ただ、祖母の作るスープ、シチュー系は絶品でした。一番印象に残っているのは手作りのクラコウ、ドライ・ソーセージです。オランダ人直伝のレシピだったわけです。

大正期になると、女学校卒が花嫁条件となっていき、行儀見習いは廃れていったようです。また、戦後は、女性の高学歴化、就職先の多様化、家電の普及などとともに、女中は消えていきました。おそらく貧富の差が縮小したことも背景にあるのでしょう。それは同時に、主婦が家事労働者となり、家事をマネジメントするという性格を失ったということでもあります。家の伝統や味が失われていく構図でもあったのでしょう。
昭和期の典型的な女中部屋  出典:Yahoo.co.jp

マクア渓谷