
女中とは言え、明らかに身分的関係とは異なる仕組みが「行儀見習い」です。江戸から大正期あたりまで、そこそこ豊かな家の娘たちは、花嫁修業として、より大きな家に「行儀見習い」として出されます。いわゆる上女中として、見習い先の家族の身の回りをサポートしながら、行儀作法を学びました。その際の家中での扱いは、奉公人の女中とは異なっていたようです。
私の母方の祖母は室蘭の人で、オランダ人の家に行儀見習いに行ったそうです。オランダ人の行儀を見習うことに意味があるとは思えません。単なる就職ではないか、という気もします。ただ、祖母の作るスープ、シチュー系は絶品でした。一番印象に残っているのは手作りのクラコウ、ドライ・ソーセージです。オランダ人直伝のレシピだったわけです。
大正期になると、女学校卒が花嫁条件となっていき、行儀見習いは廃れていったようです。また、戦後は、女性の高学歴化、就職先の多様化、家電の普及などとともに、女中は消えていきました。おそらく貧富の差が縮小したことも背景にあるのでしょう。それは同時に、主婦が家事労働者となり、家事をマネジメントするという性格を失ったということでもあります。家の伝統や味が失われていく構図でもあったのでしょう。
昭和期の典型的な女中部屋 出典:Yahoo.co.jp